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ジョン・コラビ時代のモトリークルーと活動停止&復活情報

ジョン・コラビ。

94年発表のモトリークルーの6枚目のアルバム『モトリークルー』のボーカル担当。

元スクリームのボーカルで、後にラットのギターを担当することになる、ギタリストが本職らしき声の渋い人。

モトリーでの活動はこの一枚だけだし、それ以前の経歴とか以後の活動とかもほとんど知らないので、それくらいしか分かりません。

強いていえば、今や58才となったオールドコラビの風貌が、今は亡き桑名正博さんに激似じゃねえか!と驚嘆したことくらいか?!

見た目もそうですが、両人ともハスキー系の声で、そのへんもそっくりという気がしますね。(もちろん声質は全く違うが)

今回はこのジョン・コラビ氏がモトリークルーにもたらした影響とその後の活動状況、さらにモトリークルーのツアー休止の情報&活動再開についてのお知らせを合わせてドドン!と取り上げていきたいと思います。

コラビ時代のモトリークルー

ジョン・コラビ氏がボーカル時代だったモトリークルーというのは、カリスマボーカルだったヴィンス・ニールの脱退によって、バンドがどのような方向性でこれから向かっていくのか非常に注目された時でもありました。

そんな折にニッキーシックスによって見いだされたジョン・コラビは、「その渋い声が新生モトリーに必要なんだよ」とか言われたのか分からないですが、とにかくそれまでの、どちらかといえばパーティーロック的なモトリーサウンドから、コラビの加入によって急激に「よりハードロックもしくはブルージーなハードロック」路線に変化したと言えるでしょう。

このときにたまたまこのアルバム「モトリークルー」を買った当時の私は、

「なんだ、ボーカル変わったのか」

ぐらいの感じで気軽にアルバムを聞きはじめたわけです。

数曲を聞いていると、

「ふんふん、たしかに前とガラッと感じが変わってるな。でもこれじゃあヴィンスの代わりは厳しいんじゃ・・・」

という思いから、序盤終わりからの「misunderstood」で「おおっ」とイヤホンの耳を押さえ始め、中盤の「poison apples」で「うむむむ・・」と音の振動に身を任せ始め、終盤の「drift away」になると・・・・

あまりの渋さに涙すら滲ませておりました

感動のバラード乙・・・

というのは言い過ぎですけど(笑)

終盤のバラードがすんごく「心に響いた」のは確か。

切ないメロディラインがコラビのハスキーボイスにめっさマッチしていて、目を閉じてると懐かしいあの頃に帰った如くのわけもない郷愁感に包まれておりましたとも。

「うぉーーーっ!コラビええじゃないかあ!!」

手に取ったアルバムを叩き割らんとするばかりの勢いで再びジャケを取り出して眺め見る20代前半の俺。

(だが・・コラビの姿形があまりはっきり分からん)

輸入盤だったので、歌詞カードにほとんどコラビの風体が映っておらず、それがまた不思議な秘密感を醸し出させてくれて、よりコラビの謎めいた魅力に拍車がかかったというべきか。

そしてコラビ脱退

そんな感じで衝撃の新生モトリー新譜で心地よい通学時間を過ごしたわけですが(ウォークマンに音楽入れて歩きながら聴いてたので)、なんとその後、コラビはこの一枚だけで脱退して、97年にはヴィンスが帰ってきています。

というのも、コラビのライブパフォーマンスがあまりに悪かったために、レコード会社がその後のセールスに不安を感じて「あいつを何とかせえ」とメンバーにお達しが来たそうですね。

ライブのパフォーマンス面でも、ファンの間ではコラビの歌唱力はかなり「?」で、モトリーの曲を唄えなかったりと、どうも楽曲とのケミストリーがいまいちとの評価。

ヴィンスとは全く違う声域のために、コラビの喉には負担になってたのでしょう。

ただ今のような「ライブで歌えてなかった」という情報も、あくまでネット上で散見したものなので、どこまでが本当がわかりません。

実際のところは「オリジナルのヴィンスほどには歌えてない」というレベルのような気もしますが・・・

そんな様々な憶測と評判が錯綜するコラビバージョンのアルバムについて、メンバーのトミー・リーが改めて高く評価していた模様。

モトリー・クルーのトミー・リー(Dr)が、ヴィンス・ニール(Vo)の代わりにジョン・コラビを迎え制作されたセルフ・タイトルの6枚目のスタジオ・アルバム(1994年)について語った。

ミック・マーズ(G)が以前、個人的には同アルバムがバンドの最高傑作だと思うと話していたが、リーにとってもお気に入りの1枚だそうだ。彼はオーストラリアの『Beat Magazine』のインタビューでこう話した。

「あれは、デカい。正直言って、俺が気に入ってるモトリーのアルバムの1つだ。音的に、曲も演奏もいかしてる。俺ら、あのアルバムには全力を尽くしたんだ。俺ら、証明しなきゃいけないことがたくさんあったからな。ヴィンスが抜けて、ギターをプレイし曲も書く新しいシンガーを迎えた。彼はそこに全く新しい要素を持ち込んだ。でも、ある特定のことに慣れ親しんだファンは、モトリー・クルーの別ヴァージョンについて知りたがらなかった。それは理解できる。だが、よく考えてみれば、あのアルバムが今でも素晴らしいのはわかるはずだ」BARKSより)

ヴィンス・ニールという、バンドの顔と言える稀代のフロントマンが抜けたことで、残りのメンバーはモトリークルーのブランドをいかに維持して、さらに発展させていこうかということに苦心していたことが分かる、少し前のインタビュー記事(2015年)。

それにしてもミック・マーズもトミー・リーも絶賛のアルバムだったというのは、当時の私の耳は間違えてなかったという証になりますねえ(ニヤリ)

一方で、バンドのリーダーであるニッキー・シックスは、コラビの参加をそれほど高く評価していなかった模様。

シックスは、『Sweden Rock』誌のインタビューで、6th アルバム『Motley Crue』について問われると、こう発言していた。「俺はこう言わねばならない。あれは、すごくまとまりのないアルバムだと思っている。俺にとっては、苦痛だったよ。ジョン・コラビは詞が書けないからな。俺がすべてやらなきゃならなかった。歌詞に参加したいっていう奴と一緒にやらなきゃいけないのは初めてだった。そして、俺の基準は高い。だから……、大変だったよ。何ヶ月もかかった。いつもはたいてい、俺は1時間で一連の歌詞を書く。抑制された想いとか怒りがあって、それを(吐き出す)…。難しかったよ。だって、彼は…、十分いい奴だが、そういう炎は持っていなかった」BARKSより)

おおお!そうだったのか!!と驚きの発言。

さすがはバンドの顔としてすべてを取り仕切る影の将軍です。

実に冷静にそして的確にコラビの実力を把握しています。

この人がトミー・リーと違うのは、モトリークルーというバンドをビジネスとして突き放して見ているというところで、対してトミーは仲間意識を中心にバンドを認識していて、そのあたりに二人のコラビ評の違いが出ているのだと思いますね。

一方の当の本人であるコラビは、このニッキーの発言に対し、

「モトリーに対してはリスペクト以外なにもない。ミスター・シックスにも…。彼らのこの先の幸運を祈っている…」

と返していて、自身へのシビアな評価を冷静に受け止めたうえで、さらに感謝の意をこめて大人の対応をなされています。

まさに年の功ですがな。

結局、コラビ在籍時のアルバムは、アルバムセールスだけでなく、既存のファンからの悪評が重なって、所属のレーベルから「ヴィンスを戻さなければ、次回以降のアルバム制作に資金は提供しない」と冷たく言い放たれたことで、バンドはコラビを切って、再びヴィンスを戻します。

from: Mötley Crüe Era 6

ヴィンスがモトリーを辞めた理由も、自分で辞めたのではなくて、バンド側に解雇されたようで、この理由も「ヴィンスがバンド活動よりレースに熱を上げたため」というのが通説ですが、ほかにもニルヴァーナなどのグランジ勢の台頭で、従来の音楽性の方向性を見直さざるをえなくなったバンドが、新しい方向性を模索する過程で、ヴィンスがそれに従わなかったため解雇した、というのもあるようです。

まあどこまで本当か分かりませんが、個人的にはコラビ―な方向性でリアルロックを突き詰めて行ってもそれなりに生き残れただろうし、面白かったんじゃないかなーとも思う次第ですよ。(コラビ在籍時のモトリーサウンドについてかなり詳しい検証を行っているサイトがありますので、よりディープな情報を知りたい方はぜひそちらでチェックください⇒検証!ジョン・コラビは駄目だったのか?

【コラビ氏のその後】

2015年からオーストラリアのロックバンド「The Dead Daisies」のリードボーカリストとして活動しているようです。

このバンドには現ガンズアンドローゼズのリチャード・フォータス(ギター)、フランク・フェラー(ドラム)、ディジー・リード(キーボード)が加入していたようですが(2013~2016)、ガンズのワールドツアーに伴って脱退しています。

バンド活動停止の情報について

そんなモトリーも2014年から始まったツアーをもって活動を停止し(2015年12月31日が最終)、長年に渡ったバッドボーイズの看板を下ろすことになったようです。

一応ツアー活動だけを停止するようで、バンド自体の存続と活動はこれからも続けていくとヴィンス・ニールは言っています。

モトリー・クルー「解散するわけではない」

ただツアー終了後ののモトリーは、メンバー間の確執まではいかないものの、距離感がだいぶ出てきたようなので、これからどうなるの?ってな感じですね。

モトリー・クルーのトミー・リーが、彼らの最終公演当日とその後のバンド・メイトとの関係について語った。リーは、2015年12月31日に行なわれたモトリー・クルーの最終公演以降、ヴィンス・ニールやニッキー・シックスと話しておらず、シックスからはTwitterのフォローを解除されたという。BARKSより)

まったく何があったのかは分かりませんが、ヴィンスなどは、モトリークルーはあくまでビジネスだと断言してるくらいですし、ニッキー・シックスも自身のバンド「SIXX:A.M.」でクリエイティビティを十分に満足させているでしょうから。

先ほど述べたように、リーと距離が離れているメンバーは、金を生むビジネスとしてのバンドをどう捉えるか?ということで距離感が出て来ているというこに尽きるのでしょう。ニッキーとヴィンスはそういう意味では大人なんでしょうね。(トミーよ!もうこうなったら、熱い想いを思いっきりぶちまけろ!!)

とにかく長年のツアー活動に終止符を打ったモトリーには、遅ればせながら、お疲れ様をと言わせてください。

トミー・リーとニッキ―シックスの微妙な関係

今日たまたま本屋で最新号(2016年10月号)のBURN!(メタル雑誌)を見かけて、巻頭特集記事がモトリークルーだったので「おっ!」と思って立ち読みしてみると(買えよとw)、そこでトミー・リーとニッキー・シックスとのあの仲たがいのことが書かれてました。

インタビュアー:

なぜツアー最後の打ち上げで(モトリークルーとしての最後の公演)行われたパーティーにあなたは(シックス)は参加しなかったのですが?

ニッキー・シックス:

あのあとツイッターでも書いたと思うけど、あの打ち上げパーティーに参加しなかったのは別に俺だけじゃない。ミックもヴィンスも行かなかったんだよ。俺が行かなかった理由は明白だ。酒もドラッグも卒業したし、なにより子供に悪い影響を与えたくないからさ。

こんな感じ。

もうちょっと詳しく書いてましたが、ささっと読んだだけなので、だいたいの内容です。

ニッキー・シックスはとにかく昔のようなバッドボーイなライフスタイルに飽き飽きしたのでしょうね。

だからトミー・リーが相変わらずそういうことをしようとパーティーを開いたのは明白だから、参加しなかったと。

ツイッターのフォロー解除の件も書いてたような気がしますが、ちょっと忘れてしまいました。

しかしニッキーがトミーのような生活から距離を置きたがっているのは、文章からもビシビシ伝わってきましたね。

ライフスタイル、生き方の違い。

この二つに尽きるでしょう。彼らの距離感は。

まあ彼らもプロですから、モトリークルーというミュージシャンとしての仕事の需要があれば、再び集まってコラボしていくと思いますけどね。

やっぱり大人だったのですよ、ニッキーという男は。

ちなみに今ニッキー・シックスが一番楽しみにしている時間は、『自宅に帰って犬の散歩をすること』だそうです。

いやー、昔と変わったな。

バンド復活の熱い知らせ!ツアー停止契約書の爆破映像つき

2019年11月19日付の洋楽ニュースで「モトリー・クルー、復活。ツアー停止契約書を爆破」という煽情的な記事タイトルが出ていたので「おおお!」と驚きました。

そこには、

モトリー・クルーが、2014年にラスト・ツアーの開催を告知したときに全メンバーが記者会見の場で署名した“ツアー停止契約書”を爆破し、カムバックすることを発表した。

バークスより

と書かれていて、再びツアー活動を再開する的な内容があったのです。

しかも最後の報に「ツアー停止契約書を爆破し」とあるので二重の驚き。

ツアー活動の停止契約書なんか存在したのかということと、それを爆破するという意味不明な文言。

思わず「なんじゃそりゃ?」と声を出してしまったくらいです。

で、記事の続きを読んでいくと、なんと本当に契約書を爆破している動画が貼り付けてあって爆笑しました。

本当に爆破してるし!

しかも曲とめっちゃ合ってるし!

いいですね、こういうノリ。大好きです。

モトリーらしい派手な演出という感じで、復活の喜びが伝わってくるようで何より。

彼らの曲は見た目のハードコアさと違ってキャッチ―で聞かせるものも多いから、80年代洋楽ファンとして活動の再開はすごく嬉しいと感じてます。

実際は一度もツアーに行ったことがないんですがね^^;

でも再開後に来日することがあれば、一度は行ってみたいかなと。

そのときはぜひとも契約書のコピーをステージ上でもう一回爆破してください。

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