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SF・ファンタジー

【ルーシー】まるで仙人の世界!脳の限界を超えたサイキックムービー!

2014年9月8日

脳の覚醒を描いたサイキック・ムービー。

以前に別の映画の予告で面白そうだなと思ってたので、映画館の座席に座ると期待感がハンパないことこの上なし!

なんといっても指先の動き一つで、その場にいる人間すべてが倒れるほどのサイキックパワーを楽しめる映画だと想像していたのだから。

しかし!

実際は予想以上にアクションシーンが少なかった。

序盤と終盤こそ、けっこう激しい戦闘シーンや超能力シーン、手に汗握るカーチェイスなんかが散りばめられていたのだが、中盤や最後の辺りなどルーシーの内面や脳機能の爆発の描写に力が注がれていて、想像していたよりもぐんと科学ドキュメンタリーの様相を呈していた。


映画『LUCY/ルーシー』60秒 特別映像

もちろんエンターテイメントに必要な暴力や活劇の描写は充分にある。

散りばめられた配役や制作陣の豪華さにも、映画ファンの耳目を集めるだけの話題性も十二分に持ち合わせていると見た。

でも全体的に見ると、この作品は生命科学とか生命哲学の範疇に入るのではないかと思った次第なんですね。

特にラストのシーンで、もはや観客が期待するサイキックアクションを投げ出したかのような、主人公ルーシーの生命の起源を探る心の旅の描写は、単なるアクション・エンタメムービーを越えた「アポロ」のごとくを想起させられてやまないことおびただし。

「えっ?いったいどんな作品なの?」

と、まだ閲覧未定で、なおかつ今後観に行く予定のある方に向けて、及ばずながら簡単なストーリー展開を少しばかり紹介させて頂きたく候。

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ストーリー

台湾に留学にきていたアメリカ人のルーシーは、その日もクラブで夜通し遊んで学生ライフをエンジョイしていた。朝帰りを果たした明朝、新しくできたボーイフレンドに誘われてあるホテルの前にルーシーはいた。

「なあ、頼むからこのアタッシュケースを渡してくれないか?」

遊び人のボーイフレンドは目の前にあるホテルのフロントを示して、ルーシーに執拗に頼み込んだ。ケースの中身とボーイフレンドが放つ怪しい雰囲気に危険を感じたルーシーはか頑なにそれを拒むが、ついにケースを渡さざるをえないように仕組まれてしまう。

ホテルに入ってフロントで教えられた名前の人物を呼び出してもらうルーシーの前に、危険な一団の男たちが現れた。

ある組織のボスである男の前に引きてれられたルーシーは、ケースの中身であるドラッグを運ぶよう命じられる。

それは単なる運び屋としての仕事ではなく、ドラッグが入った袋を下腹部に埋め込まれた上での運搬の仕事だった。

数人の運び屋とともに海外に派遣されたルーシーは、監禁先で暴力を受けたことがきっかけで埋め込まれた薬が血液中に混入してしまい、それが原因で脳内の機能が開いてしまうことになる。

徐々に覚醒し始めた脳の機能は、意識無意識に関わらず彼女に驚異的な能力を開花させ、全てのものを変える力をも与え始めた。

しかし彼女の身体は脳の開花に対応できず、崩壊を始める自身の肉体を保つために更なる薬の投与が必要になる。

薬を手に入れるため、残る3人の運び屋を追うルーシー。

そしてそれを追う組織。

いずれ訪れる100%の脳機能の開花に何が起きるか誰にも予測不能だった・・・・

実は奥深かった?アクションムービーを超えた『哲学的プロット』!

これだけ見れば、単なる逃避行アクションストーリーに見えるが、実は全然そんなことはない。 というか、むしろ麻薬組織の働きはルーシーの驚異的な能力を際立たせる演出というべきであり、監督が描きたかったのはもっと深淵的な何かであり、生命の起源に対するあくなき追求だったのだろうと、映画のラストシーンを見ればよくわかる。

むしろそんな監督の科学への問いかけを代弁するかのような役柄を演じたモーガン・フリーマンに、この映画の肝はある。

フリーマン演じるノーマン教授は、使われてない脳の機能を開くことで、一体どのような可能性が人間に開かれるかということを長年にわたり研究してきた。

ただ理論的には可能であると考えられた自身の研究も、臨床が不可能である以上、あくまで仮定の論理にすぎなかった。 そこにある日突然、ルーシーからアクセスを受けるノーマン。

彼女の驚くべき能力に驚愕し、当惑すら感じる教授にルーシーは協力を求めた。

「生命が究極的に何を目的とするのか、教えてほしい」と。

彼女の問いに戸惑う教授だったが、しばらく考えて一つの答えを出した。

『生命の果たすべき役割は情報を伝えることにある』

この答えがその後のルーシーのすべてを決定した。

彼女は開きつつある脳の能力に求められるがまま、もはや人間ですらなくなりつつある自身の究極的な役割をその言葉に見出し、そして求めたのだ。

映画の後半は、ルーシーの生命の起源を探る旅の描写にクローズアップされていく。

もちろんエンターテイメントムービーだから、その合間に脳機能を10%しか使っていない人間たちの下劣なドンパチが展開されていくのだけど。

ルーシーの高知能生命体的な振る舞いと、そうしたギャングや警察の争いが対比させることで、人類の抱える問題と愚かさを浮き彫りにする。

そしてルーシーの最後の姿を、人類の進むべき姿や、あるべき姿として描きたかったのではないだろうか。そう個人的には感じた。

有名どころ満載の制作スタッフと俳優たち

リュック・ベッソン監督の、美しい女性を使ったこのような描写は、かつてのフィフス・エレメントにもよく出ていたようにも思う。

思えば監督は「タクシー」や「レオン」など、女性が鍵を握る作品を多く送り出してきた。

きっとそれは監督自身の生い立ちやら人生観からくるものだろうし、もっと大きく言えば監督の生まれ育ったフランスという国の特徴であるのだろう。

いや、それよりも、単に監督が女性に助けられた人生を送ってきて、映画の資金的援助も多く受けてるから「感謝してますシルブプレ」的なノリで作っているだけなのかもしれない(笑)

もちろん本当にそうなのかは、あくまで自分の想像なので分からないけど。

俳優陣だが、大勢のキャストが出ているように見えて、物語の核を成している役柄は実は4人しかいないことに後になって驚いた。

スカーレットヨハンソン、モーガン・フリーマン、チェ・ミンスク、アミール・ウェイクドの4人だ。

ルーシーを演じたスカーレット・ヨハンソンのすべてを見透かすような洞察的な目つきは、この役柄に合っていたように思う。

最初はこの役柄をアンジョリーナ・ジョリーに任せようと考えていたらしいが、いろいろあって最後はヨハンソンに落ち着いたらしい。

監督はヨハンソンの演技を絶賛していて「彼女の話し方や演技のすべてに感動していたよ。本当にプロフェッショナルな女優さ」と熱く語っている。

主演に抜擢した女優とデキてるという噂と真実が絶えないフランスの誇るエロ親父リュック・ベンソン監督のことだから、ヨハンソンとも関係があるのか?とも考えたけど、この映画のルーシーを見てたら、喧嘩をしたら相当怖そうなので、きっとそれは妄想なのだと思いたい。(最近お子さんが生まれたというから、旦那さんがいるのだろう)

そしてモーガン・フリーマン。

この人は言うまでもなく、助演させたら天下一のハリウッド俳優である。知的で穏やか、それでいて気骨のある演技をさせたらこの人の右にでる俳優などそうはいないだろう。

扱うテーマも今回は生命の起源ということで、かつてディスカバリーチャンネルで宇宙科学についてナレーションしていた経験が生きたのかもしれない。

この人助力もあって、ルーシーも最後は望むような最期を迎えることができた。

一方の組織のボスを演じるチェ・ミンスクは、日本でも「シュリ」や「オールドボーイ」で有名な俳優だ。

英語を話せないという設定で、作中でもほとんど話すことはなかったが、あの悪魔的な役柄に言語は必要ない。

でもどこかで見たことがあるような役柄だなと思ったが、監督の「『レオン』のゲイリー・オールドマンをイメージして仕事を依頼した」とあるから、なるほどと思った。

言葉少なげだが、顔の動きであれほどの悪を演じられるのは、確かにレオンのあの悪い警部そのものだ。 眼を閉じてクラッシックを聞くところなんか、そっくりそのままだ。

監督はこの俳優の役柄を「ヨハンソンは究極の知性として、チェ・ミンスクは究極の悪魔として演じてもらった」としている。

デル・リオ警部を演じるアミール・ワケドは、エジプト出身のアメリカ人俳優だ。

この警部の役割は「我々鑑賞者の立場に沿ったものにした」と監督は語っている。

ルーシー自身のタレこみによって、逮捕された違法麻薬の運び屋を奪還すべく襲ってきた組織の一団を、彼女が簡単に一網打尽にしたり、自分たち警察もあっさりと武装解除させられたりと、彼女の超常現象的能力の前になすすべのない警部の姿は、まさに一般人そのもの。

実際に映画の中で、ルーシーについて来てと言われて「俺が必要なのか?」と問い返すところなんか、まさに無力感丸出しで非常に共感できた。

でもルーシーは彼が必要だったのだ。

それは彼女が人間としての最後の思い出を作るために。

そして我々映画観賞者を同調させるためにも・・・

最後にもう一人。

それは人類が最初にニ足歩行を行った祖先として名高い、類人猿ルーシーだ。

彼女の化石は1974年11月24日にエチオピア北東部ハダール村付近で発見された。 その活動時期は318万年前ともいわれ、脳の発達よりも二足歩行が先行したということで注目を浴びた。

主人公のルーシーが冒頭のシーンで、ボーイフレンドに、

「いいこと教えてやる。ルーシーってのは人類最初の女なんだ」

と言われて、「ちっとも嬉しくない」と返すのだが、映画が進むにつれて、類人猿ルーシーの存在が非常に大きなものとなっていく様子が描かれていて、当初のルーシーの思いとは真逆に話が進んでいくのを見て面白く感じた。

生物の起源を探る脳の旅に出かけたルーシーが原初のルーシーと出会うことで、自らのルーツを確認し、さらなる生命深部の探索に出かけるきっかけを与える役割となっていく。

監督は「類人猿ルーシーの脳はわずか400gだったが、現代人の脳は1.4㎏もあるんだ。そこに映画のヒントを得た」と語っている。

この映画を製作した「ヨーロッパ・コープ」は、フランスの俳優クリストファー・ランバートが創設した会社で、この「ルーシー」は同会社で最大の予算を使った作品として歴史的な意味を持つという。

フランスでも「ルーシー」は歴代2位に入る興行収入を記録して(2013年)、リュック・ベンソン監督は「アメリカでも同じくらいの人気を得ると確信している」と語っている。

クリストファー・ランバートはかつて「ハイランダー」(1986)という映画で不死の戦士を演じているが、その二十数年後に、同じく永遠を生き続けるルーシーを描いた作品の製作をすることになるとは、なんだか奇妙な縁である。

超能力か?仙人思想か??

こういうちょっと哲学がかったというか、人間や科学というものを深く掘り下げようとするタッチの作風は、フランス独特のもので、これこそがフランス映画をフランス映画足らしめている原初のようなものだと思うし、これまでの世界観や人生観の行き詰まりを感じ始めている世界の人々、とりわけアメリカ人にとって、こういう原点回帰な映画は確かに高い評価を得ることになると思う。

アクションもそれなりにあるし、ルーシーの圧倒的な能力は超人憧憬思想を多分に持つアメリカ人にも受け入れられやすい素地があるとみる。

そういう単純なアメリカ人に「お前ら野蛮人はもっと人間てのを深く見つめやがれシルブプレ!」的に説教を垂れるおフランスの上から目線があってもおかしくない。

しかし道教思想や仏教信仰のオリジナルである東洋人から見れば、ルーシーで描く魂の深淵的なものはすでに古くから描かれてきたんだよ色即是空!といいたくなる部分も多分にある。

肉体が消えて核の部分だけになるという描写は(すんません、ここネタバレです)、映画スターウォーズでオビワン・ケノービや彼の師匠であるクワイ・ガン・ジンがフォースと一体化して肉体を消し去った描写と同じであり、スターウォーズが中国の道教思想や日本の侍文化から多くのヒントを得たことからわかるように、それはまさに仙人が肉体を消し去るのと同様の意味を持つ。

映画では肉体を消すことに定義を付け加えていたが、道教でも何らかのきっかけを得たり、突然変異で肉体が変わってしまったり修行を行うことで細胞そのものの構造を変化させて、ついには肉体そのものを高次元化させてしまう術が伝えられているという。

もしそういう伝説が実存するのだとしたら、まさにルーシーは仙人への過程を地で行ったのではないだろうか。

そして使われていない脳の機能をフルに使うことでそれが可能になり、その結果肉体は消え去るという仮定が実現しうるのなら、まさに人類の肉体というのは人間をこの世に縛る枷のようなものであり、そこから自由になるということが、まさに脳を解放するということになる。

つまり死とは終焉ではなく、解放なのだと・・・・

とまあ、いろんなことをこの映画を見て感じてしまったわけでありまして。

そういう意味では、この映画は単にアクション映画を見て面白かったというよりも、むしろ知的好奇心を大いに刺激された作品である!というのが、鑑賞後の偽らざるべき感想でございます。そちら方面の知識に興味のある方はぜひ。

I am everywhere(私はあらゆるところに存在する)


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