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ホラー・カルト

【スプリット 感想】ストーカー男の肉体変化が凄すぎる!

2017年6月2日

全米で3週連続一位を記録した大ヒット映画「スプリット」見てきました!

別の映画で予告編を見てから、妙に心に引っかかる作品だなと思ってたのですが、実際にかなり面白かったですよ^^

今回はかなりのネタバレも含みつつ、映画についていろいろと語っていきたいと思います!

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映画レビュー(注意!ネタバレあり!)

まずは簡単なあらすじから。

3人の女子高生が誕生日パーティーの帰りに見知らぬ男に拉致されてしまう。

気が付くと地下室に閉じ込められ、目の前に神経質そうな雰囲気を漂わせた男がいた。

24もの人格を持つ、その男はさまざまな顔を彼女たちに見せながら、じょじょに恐怖に陥れていく。

そして最後の人格が顔を出したとき、恐怖は最高潮に達するのだった・・・

この神経質な男は、見た目はかなりのイケメンなジェームズ・マカヴォイ。

彼が演じる主人公ケヴィンは、その名前と人格をフルに変えつつ、女子高生たちを脅かしたり、なだめすかしたり、そして恐怖に陥れたりしていきます。

まずは映画の出だしで、主人公の女の子が不穏な空気感を醸し出すシーン。

女の子が意味ありげに、そして不安げにじっと窓の外を見つめるだけの描写なのですが、こういうシーンだけで、観客の心をぐっとつかんでいくシャラマンの手法は相変わらず上手い。緊張感のある描写というか、すべての描写に意味があるように思えてきて、一瞬たりとも目を離せないという気にさせてくれるんですよね。

やがてパーティーを終えた女の子たちが車に乗り込んだとき、突然現れたケヴィン。

催眠スプレーをかけて、彼女たちを気絶させて地下室に連れていきます。

そこで出会ったケヴィンは・・・

最初はマッチョで寡黙な人格でした。

やがてその人格がくるくると変化していって、ときには女性に、ときには子供に(9歳の)、そしてときには常識を備えた凛々しい男性にと、いろいろな顔を見せるのです。

もちろん彼女たちは、なぜ自分たちを誘拐した犯人が病気のような人格変化を見せるのかがまるで分からず、とにかくここから脱出しようと試みます。

その中で唯一違ったのが、ヒロインのケイシー。

クラスの中で変わりものの評価を受けていたケイシーでしたが、その理由が映画の中で彼女の子供のころの回想シーンとして明らかにされていくことで、彼女が他の女の子のように騒がない理由が分かってきます。

一方の犯人のケヴィンですが、彼女たちを地下室に閉じ込めたあと、ある場所に向かいました。

そこは彼の主治医のオフィス兼自宅。

ケヴィンは精神的な疾患を抱えていて、定期的に主治医のもとに通っていたのでした。

DID(解離性同一性障害)と呼ばれる疾患を患っていて、10年前に治癒して社会に復帰したのですが、時々、女医のオフィスを訪ねて病状や生活のことを相談していたのです。(この精神科医の女性の部屋が実にエレガントで、マカヴォイの住む地下室の無機質でダークな感じとすごく対比されてる感じが印象的でした)

ちなみにDIDとは、

本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。

解離性同一性障害 - Wikipedia

とのことで、まさに人格障害というもののよう。

この人格がそれぞれ出ているときは、まったく別の人間として存在しているのです。

映画では何度もケヴィンがこの女医のもとに通うシーンが描かれてましたが、誰も彼がテレビでも話題になっている女子高生の誘拐犯だとは知らない中、女医は普段とはちがうケヴィンの言動にいち早く気づき、その真相を知ることになります。

地下室の出来事

ここで再び地下室に閉じ込められた女子高生たちに話を戻します。

女の子たちは何度も隙を見つけて脱出を試みるも、その都度ケヴィンに見つかって、それぞれが別々に隔離されてしまいます。

その過程で、ヒロインのケイシーだけは唯一、冷静に事態を把握して、慎重に行動します。常に逃げる方法を考えながら。それは彼女が子供のころに連れられていったハンティング(狩り)での経験が大きく関わっていたのでした。

ー父親とその弟(叔父)とともに、鹿狩りのために山の中で過ごすひととき。

森の中で静かにじっと獲物を観察する父が、そばにいる彼女にこう伝えるのです。

「動物のメスはオスより賢いんだ。常に生き残ることを考えて行動する。まずは動かずにじっと周りを観察するんだよ」

このときのセリフが糧となり、たとえ誘拐されて地下室に閉じ込められたとしても、ほかの友達のように無駄に騒がずに、冷静に事態を把握しようとする行動につながるのでした。

しかし!!

まるでハンティングガールが山での経験をもとに、にっくき誘拐犯をあの手この手でとっちめるという展開になるかと思いきや、実はそれとは正反対のひどい情景が彼女の回想シーンで映し出されるとは一体誰が想像しえたでしょうか??

叔父さん、いや、叔父貴。

この、父親よりもムキムキで、いかにも狩人という感じのこの叔父が実は子供好き(性的な意味で。いわゆる「ペドフィリア」)で、まるで獲物を狙うかのように、じっと幼かったケイシーを狙っていたとは思いもよらず、事態はそういう流れに反転してしまいます。

もちろんこのシーンは、あくまで「それらしい」流れになっているだけで、実際にそういうシーンを映し出しているわけではありません。

ただ前後の描写や、その後、父親が亡くなって葬式を挙げたあとに「心配するな、お前の面倒は俺が見てやる。その代わりトラブルは起こすなよ」と、幼い彼女の耳元で囁くシーンで簡単に想像できてしまうという・・・まったくひどい話だ!

一方で子供のころのケイシーが涙ひとつ見せずに、山の中で事が終わった後だろうときに、叔父に無表情に銃を向けてるのが、妙に怖かった。もちろん葬式の後に叔父に囁かれたときも・・・このころから、彼女は自分の中に閉じこもることで、自分自身を保っていたのでしょう。

そしてこのことも、のちに大きな意味を持つことになります。

ついに最後の人格が!!

映画は徐々にケヴィンと精神医である女医とのやりとりに描写の多くを割いていきます。

ケヴィンは地下室で女の子たちに「お前たちは聖なる犠牲だ。いずれビーストがやってくる」と繰り返し、いろいろな人格で語っていました。

その後の映画の半分を費やして描かれた、女医とケヴィンのカウンセリングで、ついに彼女はケヴィンの隠された本当の人格、それは最も常識的で人間らしい人格を掘り当てることに成功するのです。

名前は忘れてしまいましたが(デイビスだったかな?)、その良識的な人格との対話で、彼が他の人格たちにリーダーシップを奪われていることを知ります。

そのうえで、さらにケヴィンのいう「ビースト」の到来を完全に妄想だと判断する女医。

「人間の肉体には限界があるのよ」

そういって「ビースト」なる24番目の恐ろしい人格を否定しますが、実は本当に存在したという・・・

それはもちろん伏線があって、女医が映画の冒頭でスカイプを通じて精神科学会の講演をしているときに、

「脳に閉じ込められていた人間本来の可能性が開花することで、肉体すら変貌させることが可能になるのです。超能力者とは彼ら(DID)のことをいうのではないでしょうか?」

という説を唱えていました。

まさしく最後の人格はその説のとおりで、ケヴィンのいう「ビースト」は人間の能力を超えた「超人」としてその真の姿を露わにします。(ここは映画のコアの部分です)。

ついにビーストになったケヴィン

このあたりの持って行き方が、ネット上で出ている酷評レビューの原因なんでしょうが(あの変身はないやろ!とかの)、人間の脳には莫大な可能性が秘められている論者の自分とすれば、リュック・ベンソンの「ルーシー」と同様にかなり真に迫った描写で、そういう可能性は十分にある、と思わせてくれるリアルさを感じ、そういう意味で、ここでの流れは全然ありでした。

やがてビーストとなって、聖なる犠牲(心に傷をもたず、堕落した若者たち)を屠ってやがて世界を変える、という妄想に取りつかれたケヴィンは、そのとおりに最後の人格を誕生させて、文字通り「化け物」となって、女子高生たちを阿鼻叫喚の地獄絵図へいざなうのです。

その過程で一つ二つ、疑問を呈するならば、

ただなぜ彼の変身が電車の中で行われたのか?

なぜプラットホームに花束を置く必要があったのか?

ということでしょうか。

あの行動の意味が分からなった。

鑑賞後、いろいろ考えてもまったくもって不明です。

(*いま分かりました(笑)「アンブレイカブル」のプロットとかぶせてるんですね)

ケヴィンのことを心配して彼の家を訪ねた女医も、結局は変身したケヴィンによって殺されてしまうのですが、その直前にドアノブのロックが入る部分にハンカチを入れた描写もあまり活きなかったように思いますし(たぶん、ドアが完全に締まらないように仕掛けたと思うのだが)、そういう一見、無意味な言動が実は伏線になっていて、のちに一つに収束してすべての意味を持つようになるという、クエンティン・タランティーノ監督ばりの手法をシャラマンも同じくお得意としているので、これはDVDが出たらじっくりと鑑賞しなおそうかと思ってますね。

その後、ああだこうだあって、変身したケヴィンに哀れ、残りの二人の女の子は○○られてしまい、最後に残ったヒロインは、殺された精神科医の残したメモのとおりに、もともとのケヴィンの人格を呼び戻して、一時をしのぎます。

普通の映画なら、ここで話は終わるのですが、しかしそこはシャラマン。

簡単には惨劇を終わらせてくれません。

再び”彼ら”が戻ってきて、超人ケヴィンが奇声を上げながら、彼女を襲うのです。

壁を這い上り、ナイフの刃を折り、銃弾すら跳ねのける鋼の肉体を手にしたケヴィン。

お前はスパイダーマンか!と心の中で突っ込みをいれつつも、スリルあふれる情景に手に汗を握っていたのは確か。

シャラマンなので、普通のホラーのように簡単にストーリーが進むはずはないのですよ!

そうして超人ケヴィンがケイシーが逃げ込んだ檻に手をかけて力づくで広げようとしたとき!(ここままんま「シャイニング」のジャック・ニコルソンでした!)

彼は見たのでした。

ヒロインのお腹にある無数の傷を。

マカヴォイは祝福しました。

「喜べ!傷ついたものこそ進化したものであり、救われるのだ、と」

と。

傷ついたものだけが分かる悲しさ

彼自身、母親に虐待を受けていて、そのことは彼をDIDにせしめた最大の理由でした。

ヒロインのケイシーも、映画でははっきりと描写こそしていませんでしたが、前述したとおり、おそらく叔父に性的虐待を受け続けていて、自殺願望すらあったのでしょう。

そんな過去そして現在まで続くケイシーの心の闇と傷を、その自傷行為のようなお腹の傷に見て取って、自分と同じ匂いを嗅ぎ取り、ついに聖なる犠牲にすることをやめたということなのです。

そのまま「喜べ!」とわめきながら立ち去っていくケヴィンを見つめながら、ケイシーは、はたっと床に座り込むのでした・・・

その後、ケイシーはは檻がある場所にきた警備員らしき人物に助けられるが、このときに「ひょっとして!」と思いました。

鑑賞前に読んだレビューで「「アンブレイカブル」の出演者が出てるぜ!」とのうわさがあったので、ひょっとしてこの人は?と思いましたが、よく見ると少し違うようなので、ちょっとがっかりしましたけど^^;

しかしなぜケヴィンの自宅の地下室なのに、他人が入ってくるの?と思いましたが、実はここはケヴィンの勤める動物園の管理棟だったというオチだったんですね。

映画の中で精神科医の自宅兼オフィスを訪ねるたびに、服のデザインスケッチを持っていたので、てっきりデザイン関係の会社員にでもなっていたものだと思ってたんですが、そうですか、動物園だったのですかと。

ケヴィンのいう「ビースト」も、実はそんな環境の中で育まれていったのです。

その後、ケイシーを見逃したケヴィンは捕まることなく、変身を遂げたもう一人の超人な自分と、彼を支持する別人格たちとともに犠牲者を求めていく・・という流れになる感じで。

一方の助かったケイシーは保護されて、パトカーの中で座っていましたが、やがて婦人警官から「叔父さん(保護者)が迎えにきたわよ」と言葉をかけられます。

「えっ、叔父・・?」

ケイシーはじっと婦人警官の顔をみつめて、何も言わず黙っているのでした。

まるで無言の抵抗をしているように。

帰りたくないとう気持ちがビンビン伝わってくる切ないシーン。

ケイシーにとっては、誘拐犯よりも、実はこの叔父のほうが「ビースト」といえる存在なのです。

おそらく相手が婦人警官なので、そのまま自分が受けてきた性的虐待を告白する流れになるとは思いますが(そうあってほしい)、描写はここで終わり、あとは観客の想像に委ねられます。

そして次に出てきたトレーラー風のダイナー。

事件の結果をテレビのニュースで聞いていた近所のおばさんたちが「あの犯人の名前って、15年前に起きた事件の悪党の名前じゃない?」と気づいて、その横で「そうだよ」と静かに頷く男の姿。

そう、これこそがレビューで語られていた「あの男」でした。

アンブレイカブルなエンディングということで^^

最後に

いかにもシャラマン的な大どんでん返しと意表を突くストーリーングに満ちた作品でしたが(シャラマン自身も相変わらず出てた。ヅラをかぶってる風でおもろかった)、まさか最後の最後にまでその仕掛けがなされているとは思いませんでしたねー。

あの大物俳優が出ているというだけでなく、エンドロールが終わって「急告」という二文字が出てきた後に、まさかまさかの続編告知もすべて!

それもあの映画との激突!というわけなのだから、なるほど、それで超人ケヴィンは逃げおおせれたのか、ダイナーであの大物俳優が出てきてたのかとかが、一気に一つになったわけでして。

そうなると、あのヒロインの女の子ケイシーもやっぱり出てくるのですかね?

あの終わり方はあまりにも思わせぶりすぎますしね。

というか、実は叔父さんには何もされてなくて、もっと別の何かがあって、あの表情になっていたのか?とか、いろい色考えてしまう結末でした。

ほかにも、犯人が9歳の子供の人格のときに見せたカニエ・ウェストのダンスも笑えましたし。なんなんだ、このノリはと(笑)ダンスうまいのか、下手なのか、よう分からんし(笑)

とまあ長くなりましたが、映画のレビューはこんな感じです。

いかにもシャラマン監督らしいトリッキーな流れに満ちた作品で、描写の一つ一つを見逃せない緊張感も相変わらずでしたね。

ぜひとも続編を見てみたいですね。いったいどんな感じになるのでしょうか?

ではそのときまで、もう一回シャラマン監督の映画を見直しておくとしますか^^

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