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【ボヘミアン・ラプソディ感想】フレディ・マーキュリーの愛と友情の物語!父親との最後のやり取りに感動した!(Bohemian Rhapsody)

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話題の作品「ボヘミアン・ラプソディ」を劇場で観に行きました。

70年代にデビューして、世界的なロックバンドとなった「クイーン」の伝記映画です。

タイトルの「ボヘミアン・ラプソディ」は彼らの歌の題名からとっています。

それまでの音楽シーンでは考えられなかった楽曲アレンジと独特のステージングで瞬く間の内にスターダムに駆け上っていった伝説のバンドの物語。

とりわけカリスマ的存在だったボーカルのフレディ・マーキュリーの生き様にスポットライトを当てているとの噂でしたが・・・

音楽ファン、とりわけ洋楽ロックファンの間では公開以前から話題になっていた映画ということもあって、私自身もかなり期待して劇場に足を運びました。

その結果は・・・・(ネタバレありなので注意)

 

意外に凡庸なストーリー!しかし想像を超えたキャストのリアルさが!

 

映画は、後のフレディ・マーキュリーになるファルーク・バルサラがバンドに加入するいきさつや、結婚相手となるメアリー・オースティンとの馴れ初めなどが描かれていました。

最初は空港で働く無名だった青年が、クイーンになるバンドメンバーと出会ってスターダムに駆け上っていく描写や、妻となったメアリーとの別れ、孤独になって荒れていく私生活やバンドとの確執など、いかにもありがちなロックバンドの栄枯盛衰という感じで、想像していたよりは「凡庸」なストーリー展開に落胆したというのが、映画を鑑賞中の中盤までの感想でしたね。

父親との不和、堅苦しい生活から離れるため(それ以上に音楽が好きだったんでしょうが)に新たな仲間を見つける流れ、バンドの成功譚とその解散にありがちな「売れっ子バンドのボーカルが天狗になって他のメンバーを見下しはじめて、それが原因で仲が悪くなる」の典型的な流れとか、フレディがゲイに目覚めるきっかけとなった個人マネージャーとの関係と、それがもたらすバンド破滅への道のりなどなど・・

 

 

その他多くのミュージシャン伝記映画によくあるパターンが中盤頃まで続いたので、正直ちょっと肩透かしを食らった気分でした。

ただそれを補って余りあるほどの、圧倒的な歌唱力と独特のステージング、他に抜きんでた創造性というフレディの人となりを表現した俳優さんの演技力に「凄まじく」感動したというのがあります。

フレディの話し方や表情、仕草など神がかり的に本物の雰囲気をビンビン感じましたし、ステージに立って歌い、力強くパフォーマンスを行うシーンの全てに「フレディ神」が下りてきたかのような圧倒的など迫力を感じて、鳥肌がゾワッと沸き立つ瞬間が多々ありました。

とくに背筋をピンと伸ばした、あの独特の「決めポーズ」の忠実さといったら!!

 

 

フレディ役以外の俳優さんも、ほぼ忠実にクイーンのメンバーそっくりになっておりり、見ていてまったく違和感なく見ることができました。

特にギタリストのブライアン・メイなどはまるで本人が出演しているのではないかというほど、そっくりな顔と背格好をしていたのも驚きでして^^

 

 

後で加入したベースのジョン・ディーコンのとぼけた顔もそのまんまという感じで微笑ましく^^

 

左がロジャー、右がジョン

 

ドラムのロジャー・テイラーは顔のそのものは少し似ていない感じはしましたが、メンバー中で最もフレディと激しくぶつかった人という描写が「熱く」心に響いてくるものがあり、さらにラストでフレディが自らがエイズだと告白するシーンで涙を流すなど、フレディの次に「熱い人」というイメージが最も印象的な人でした。

そして圧巻だったのが、ラストになるライブ・エイドでのコンサートシーン。

アフリカの飢餓の子供たちを支援するために、当時の英米の有名ミュージシャンが中心になって行われた大型チャリティライブですが、このイベントへの参加の打診を受けたバンド側は一度断っています。

というのも、当時はフレディが個人マネージャーのポール(後に解雇され、フレディの乱れた私生活をマスコミに暴露する)によって全ての情報を遮断されて、ソロアルバムの制作に没頭していたことや、その直前にバンドのメンバーと揉めたことが原因で、バンドは空中分解状態にありました。

 

 

その後、元恋人のメアリーの説得で再びバンドを再開する決意を決めたフレディがメンバーとの仲を戻し、活動を再開。

そしてこのライブエイドに参加したのです。

このときのライブパフォーマンスはクイーン史上最高のものと映画の中で描写され、7万人余りいたオーディエンスがバンドの演奏に合わせて歌い、踊るという凄まじい熱気に包まれていました。

何より素晴らしかったのが、ラミが演じるフレディのステージング。

まるで本物が降臨したのかと思うほどのリアルさで、圧巻のパフォーマンスで瞬く間に観衆や映画を見る私をロックの渦に巻き込んでいき、最後に「we are the champion」で感動の渦にすら叩き込んでいくカリスマ性といったら!

 

 

主催者側からバンドが与えられた時間が20分ほどだったと思いますが(少し忘れました)、映画の中でも同等の時間が展開されて、まるで本当にライブ会場にいるような錯覚を覚えました。

演奏の終了の後、フレディのその後が説明されて、エンドロールとともにフレディのその後の実際の写真などがスクリーンに映し出されていきます。

この映画はタイトルこそ「ボヘミアン・ラプソディ」というロックバンド「クイーン」の楽曲名になっていますが、こうしたエンドロールでの流れを見ていると、やはりフレディ・マーキュリーという不世出のシンガーのための作品という気がします。

 

映画で描かれたフレディの苦悩とは?(ネタバレあり)

 

映画の序盤から展開された「父親との不和」が、その後のフレディの人生に暗い影を落としていたように感じました。

まずもってフレディの一家は移民であり、父親はもともとペルシャ系インド人で、フレディ自身はインドで生まれて、そこで17歳まで生活をしたとされています。

その後、東アフリカのザンジバルに移住、そして政変のためにイギリス本土に移住と、めまぐるしい環境の変化があったようです。

映画では、伝統的な価値観を持つ父親と、音楽の道に憧れる息子フレディとの間の確執が淡々と描かれていました。

とはいっても、二人が直接、罵りあったり殴り合ったというシーンは一切なく、ただ父親は息子であるフレディに「善き思い、善き言葉、善き行い」という言葉をかけ、「今のお前はそれに見合っていない」と静かに非難するのです。

当時のフレディは昼間は空港で働きながら、夜はライブハウスにいって酒を飲みながら音楽を聴くという生活を続けていました。

 

 

そんな息子を見て「善き」人間ではないと判断したのか、父親は苦々しく見ていたというように描かれています。

もちろんフレディにも言い訳はあり、移民の子として職場で「パキ」とバカにされ(移民で多かったパキスタン人の省略)、どんなに頑張っても報われないという無力感もあったのかもしれません。

「善き行動をして、今まで何かいい事はあったの?」と父親に言い返して家を出ていくシーンだけが、唯一この映画で親子喧嘩といえる描写となっていました。

一見、父親の古臭い考えに反抗する若者の典型的な行動に見えますが、それまでの一家の境遇を考えると、フレディの鬱屈した気持ちも分かりますし、それまで苦労してきた父親や母親のことを考えると、親が自分に期待する気持ちを無下に否定できない、彼の優しい気持ちも、同時に感じることができたような気がします。

その後、彼は素敵な女性と出会い、恋に落ちて結婚しますが、やがて自分がバイセクシュアルでないかと悩みだします。

その後、実際に男性に興味を持ってしまうことを彼女に気づかれてしまい、別れを告げられてしまうのです。

 

 

ショックを受けたフレディは、別れた後も恋人であり妻でもあったメアリーのことが忘れられずに、彼女の家の隣にまで引っ越してコンタクトを求め続けました。

性としての対象は男性に移りましたが、それでもなおメアリーという、自分が恵まれていない時期に出会い、結婚まで至った女性との「心のつながり」は、スターダムに登るにつれて孤独になりつつあったフレディの数少ない心の支えだったのでしょう。

それを失ってしまったことによる心の隙間はあまりにも大きく、その隙間を埋めるように、ポールという男性の個人マネージャーと関係をもってしまい、その手引きで多くの愛人を持って毎晩のように乱痴気騒ぎを起こしてしまいます。

そしてその生活の中で、いつの間にか自分を見失っていくのでした。

その結果、第二の家族とさえ思っていたバンドメンバーとの関係を悪化させてしまいます。

そんな彼を救ったのも、やはりメアリー。

彼女の一言で自分を取り戻し、再びバンドとの関係を修復するのです。(メアリーとはその後もフレディが死ぬまで友情が続いたといいます)

 

実際のメアリーとフレディ

 

映画の中でもフレディ自身が語っていた、心の奥底にある「闇」の原点は、おそらく彼自身のアイデンティティにもあるでしょうし(移民の子であり、イギリス社会に溶け込めないという不安)、それにつながる父親との不仲にあると思います。

実際に彼はそんな民族的呪縛から逃れるように、名前を英語風に変えてしまいます。(パスポートも)

冒頭の二人のやり取りのシーンでそのことが描かれていましたが、そんな息子を見ても何もいえない父親も、きっと息子の気持ちは本当は痛いほど理解していたのでしょう。

父親自身も同じ思いを抱いていたのかもしれません。

それに対して何かできることはなく、ただ「正しい」と思うことを言葉で諭すことしかできなかったのだと。

聡明なフレディは、父親の言う「善き思い、善き言葉、善き行い」の意味が十分に分かっていたに違いありません。

分かっているけれども、自分が追いついていかない。

追いつくためには、イギリスという社会に自分の存在を認めさせてやるしかない。

俺の好きなロックという武器で!

そんな風にフレディの心境の変化を、自分の中で勝手にそう感じましたが、もしそうしたことが彼の前進力の原点にあるのだとしたら、「反逆」がモットーのロックンロールは、まさに彼のための「武器」になったのかもしれません。

 

父親とのやり取りに感動!

 

そして最後のライブエイドの直前。

バンドメンバーとの仲を取り戻した後、本当に自分を理解してくれると感じた、かつての使用人の男性の家を訪ねていき、共に家に来てくれるように頼みます。(映画では「一緒にお茶を飲まないか?」でした。もちろん彼の実家でという意味です)

男性はフレディの突然の来訪に驚きますが、フレディの真摯な願いを聞き、その思いを受け入れます。

そして共に実家に赴き、その男性を家族に紹介します。「僕の大切な友人だ」と。

そっと男性の手を握るフレディの仕草。

それを見て母親も父親も妹も、その意味を理解しました。

男性はフレディにとっての「大切な人」なんだということを。

お菓子を食べるように勧める母親を制して、フレディは「今からライブエイドに参加するんだ。アフリカの飢餓の子供たちを救うチャリティコンサートなんだよ」と言って立ち上がりました。

その言葉を聞いた父親は、出かけようとする息子の前に立ち、こう静かに語りかけました。

「善き思い、善き言葉、善き行い。お前はそれを実現した」

と。

 

 

伝統的な価値観にそぐわない「同性愛者」でありながらも、息子のフレディの相手への思いは「本物」であること、音楽を通じて「正しい行いや言葉」を実現しようとしている姿を見て、父親はようやく息子を認めるようになったのだと思います。

それは同時に息子がイギリス社会に認められたという意味もあったのでしょう。

いや、イギリスだけではなく、世界中の人々に受け入れられたということも。

長年わだかまっていた、お互いの感情が一挙に溶けた瞬間でした。

そしてこのシーンが映画の中で最も感動した場面でもありました。 

 

フレディの最後と出演者のあれこれ 

 

フレディはその後、1991年11月にHIV感染による合併症が原因で亡くなっています。

亡くなる前には、バンド14作目となるオリジナルアルバム「イニエンドゥ」をリリースし、フレディが在命時に製作したクイーン最後のアルバムといわれています。

最後の恋人となったジム・ハットンは実在の人物で、フレディが亡くなる最後まで寄り添っていたそうです。

 

from:IrishCentral.com

 

AIDSだったフレディから病気を移されていたにも関わらず、そのことを一切フレディには告げなかったという話もあるようで、本当にフレディのことを想った優しい人だったんですね。(2010年1月1日に死去)

他にもオースティン・パワーズで主役だったマイク・マイヤーズが出演していると後で知って、「え?どこに?」となりました。

www.yougaku-youga.com

調べてみると、EMIの偉いさん役である「レイ・フォスター」という役柄で、あの金髪もじゃ髪でフレディに「オペラなんか受けるはずないだろ!」と否定的になる、あの人だったということ。

まるで分りませんでしたね(笑)

 

 

そしてフレディ亡き後、残されたクイーンのメンバーは追悼ライブを行い、数多くのアーティストが参加しました。

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その中にはフレディを敬愛するガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズや、英国音楽界の巨匠であり、キングスマン2ではっちゃけた演技を披露したエルトン・ジョンもいます(笑)

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さらにバンドのドラマーであるロジャーの息子が、2年前にイギリスのバンド「ザ・ダークネス」に加入したことで話題を集めたということもあったりして、映画とは関係ないながらも、クイーンの魂を新たに引き継ぐ世代が出てきたということで、洋楽ファンとしては何気に嬉しく思っています。 

 

まとめ

 

ストーリー全体で見れば、少々凡庸だったといえる「ボヘミアン・ラプソディ」。

ただそれはクイーンというバンドを結成していくフレディの生き様とその後に、あまりにも濃厚に多くのことがあったために、 2時間強という時間の枠で収めることによる「無理やり感」がそう感じさせているのだと思いますし、ラストシーンに至るあれこれの流れでは、それまでの「凡庸感」を一気に解消するような圧巻の描写になっていたのは事実です。

その中でも目を見張ったのが、各出演者によるリアルすぎる演技とライブ再現シーンの数々。

特に主演のラミ・マレックはほとんど本人かと思うほどの臨場感でフレディを演じ切っており、最後のライブエイドのコンサートシーンに至っては、クイーンの本当のライブ映像かと思わせる圧倒的な「本物感」を全身に漂わせていました。

 

 

ラミ自身がエジプト系のアメリカ人であるがゆえに、中東系の顔立ちがフレディと重なる部分が大きいですが、顔そのものよりもその仕草、表情、歌い方、ステージング、ポージングの全てがフレディしていると思いますね。

実際にこの映画の撮影に当たっては、振付師にではなく「モーション・トレーナー」に師事してフレディの演技をやり切ったというのですから、その動きの全てがフレディしてるのは当然でしょう。

ほかにも初期のクイーンの海外ライブ候補地に日本が含まれていることが知らされるシーンや、海外遠征のライブシーンで「TOKYO」「OSAKA」がちょこっと出てくるところなど、日本とクイーンの繋がりが少しばかり出てくるのが何気に嬉しかったです^^

とはいえ、デビュー当初の野心満々なフレディには「もっと高みを目指す」と一蹴されていましたが^^;(アメリカ上陸がバンドの目標であるという意味) 

最後の父親とのシーンも感動しましたし、エンドロールでのフレディのその後も良かったですね。

ミュージカル映画として最後のライブエイドは一見の価値がありますし、バンド内の裏側を知る内幕映画としても見ごたえがあるでしょう。

親子の絆の物語として見ても心が動かされました。

クイーン好きな人、フレディ・マーキュリー好きな人はもちろん、そうでない普通の映画ファンの人にもおすすめです^^

Rami Malek emboies what Freddy Mrcury was like. He deserves to be praised.