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【クワイエット・プレイス 感想】心臓のバクバクが止まらない!緊迫感と恐怖が襲いかかる至極の無音ホラー!【A Quiet Place】

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「音に反応する何か」

映画を見る前に前評判で知っていたので、なんとなくは想像していたが、見始めから見終わってまで、これほどにまで「恐怖」を感じた作品は最近はなかった。

終盤までまともに言葉を発しない、いや発してはいけない(発した途端に殺される)という設定がこれまでに見たことはなくて、本当に新鮮だったし、そしてリアルに怖かった。

それだけだと、単なる優秀なB級ホラーで終わってしまうのだが、そこに「親子の愛」という普遍の人間テーマが加わることで、より上の段階に映画のレベルを引き上げたのだと想像する(ホラー映画の全米オープニング興行収入が5000万ドル越え、批評家の大絶賛)

そんな予想以上に引き込まれた至極の無音ホラー「クワイエット・プレイス」を可能な限り無音で感想レビューしていきたいと思います。

 

音を立ててはならない恐怖!

 

まずは簡単なあらすじから紹介を。

 

映画はいきなり荒廃したアメリカの田舎町のスーパーマーケットから始まった。

そこには誰もおらず、ただ荒れ果てた街の荒涼とした風景が広がっていた。

店主も店員もいないスーパーの中では、ある家族が音をたてずに、静かに薬や生活必需品を漁っていた。

家族の構成は、父親、母親、小さな二人の息子と、長女。

長女は生まれつきなのか、耳が聞こえないので、手話で会話をしていた。

やがて必要なものを揃えた家族はスーパーを出て、山の中の自分たちの家に向かう。

その途中も、音を立てないように裸足で移動するのだった。

 

 

しかし家に向かう山道の中、ある橋の上で小さな息子がスーパーでとってきた「飛行機のおもちゃ」の電源を入れてしまう。

その瞬間、飛行機からは電気音が流れ、静寂だった山道に大きく響き渡った。

それに気づいた父親は必死に息子の元に駆け寄ろうとするが、次の瞬間、横道の茂みの中から「何か」が突如として現れ、息子に襲い掛かるのだった・・・

息子を助けることができずに無念の帰宅を果たした家族は、再び元の音を立てない生活を数か月続けていく。

そしてある日、父親が残った息子に魚の取り方や山の中で生きていくサバイバル知識を教えるために同行させた後の家で、事件は起こる。

残された妻が新しい赤ちゃんの産気が始まったのだ。

 

 

本来は母親の世話を見るために残されたはずの長女は、家を飛び出して亡き弟の墓標の元に向かっていた。

かつて弟を失ったのは、スーパーで拾った飛行機を黙って弟に渡したことで起きたこと、それは自分のせいであること、そしてそのことを父や母が許しておらず、どこか自分に距離を置いていると感じていたこと・・・そんな思いが鬱積し、どこか父親に反抗的になっていた。

しかしそんな長女がいない家では、身重になった母親があることがきっかけで大きな音を立ててしまい、外の「何か」を家に招き寄せることになってしまう。

そこから恐怖の死闘が繰り広げられるのだった・・・

 

ざっとこんな感じのストーリーだった。

基本的にはメル・ギブソン主演の「サイン」(2005年)に雰囲気は似ている。

姿を一瞬にしか見せない「何か」がとてつもなく恐ろしい存在で、人間を瞬時に殺してしまうということ。

「何か」が襲来するまでは、映画の流れは極端にまで静かで淡々と進んでいくこと。

「サイン」と違うのは、この作品でのそれは「音」に反応し、人が発する言葉や物音を聞きたてて、襲いに来るということで、まさに「命をかけて」音をたてないということに、全ての動きや生活が限定されてしまっているということだ。(なので、家族はご飯時も、遊ぶときも極力音を立てずに行う)

ストレス満載の生活である。

 

 

それは画面を見る観客にまで十分に伝わり、音を立ててはいけないという決まりごとに、まるで自分たちも従わなければいけないような気持ちにさせてくれる緊迫感があった。

一方で、自然の物音には反応しないため、その音量を超えない限りは、言葉を発しても大丈夫だという決まり事もあった。

実際に父親が息子をサバイバルの教授のために連れて行った山の中では、「こうやってストレスを解消するんだよ」とばかりに、激しい音をたてて流れ落ちる滝の水音に向かって「ウォーッ!」と叫んでいたシーンがあり、映画全編にわたって「無音」である必要はないという、免罪符の一種となっているように思えた。

そして物語が進むにつれて、徐々に「何か」についての詳細が少しずつ明かされていく。

前半のシーンではっきりと人が殺されるシーンが描かれていたのは、父親と息子がサバイバルの訓練の帰りに見た無人の家の前で、「何か」に殺されたと思われる高齢女性の死体のそばで、たたずむ高齢男性が襲われるところだ。

妻を失って生きる望みを失った高齢男性は、そのそばを通りかかった父親の「音を立てるな」の静止を振り切り、大きな声で叫びをあげて「何か」を呼び寄せた。

 

アンソニー・ホプキンスかと思った

 

それは茂みの向こうから現れ、瞬時に高齢男性を殺してしまう。

恐らく自殺だったのだろう。

木の裏に隠れて難を逃れた父子だったが、「何か」の恐ろしさをまざまざと思い知らされ、再び静かに帰宅の途に向かう。

家では妻が身重の体をひきずりながら、家に襲い掛かる「何か」と戦っていたのだが、このときに完全に「何か」の正体は明らかになる。

この少し前に、自宅での生活の描写をしていたシークエンスがあったが、父親がスクラップしていた過去の新聞の切り抜きでは「落下した隕石」「音に反応する何か」という見出しの部分があり、そこから「何か」が隕石と共に飛来した「宇宙生物」であるということを、暗に匂わせていた。

このあたりが「サイン」に似ていると感じたのだが、「サイン」と決定的に違うのは、その「何か」の描写はとてつもなく「恐ろしく」「気持ち悪い」というところだ。

鼓膜に特化したアンテナ怪獣のような「何か」が、全ての音を捕らえようと、顔全体を大きく変化させてうごめくその見た目は、まさに「クリーチャー」という言葉が似合う。

そしてその「音に特化した機能」こそが、人間側の最期の切り札になるのだが、それはネタバレになるので、ここでは明かさないでおこう。

 

長女の存在感と起死回生の役割

 

この映画の鍵を握るのが、耳が聞こえない障害を持った長女だ。

 

 

冒頭のスーパーのシーンで、弟が持ってきた飛行機をおもちゃを、一度は父親に「音をだすから持って帰られない」と置かれたものを、弟を喜ばすために秘かに拾って弟に渡したことがあった。

あれがために、その直後に弟を失うことになるのだが、このことが長女のトラウマになる。

母や父は常に亡くなった息子のことを思い、悲しんでいた。

「子供を救えなかった自分たちのせい」だとしていたが、長女にはどうしても「自分がああいうことをしなければ・・」という自責の念が、両親からも同じことを思われている、だから父は自分に厳しいのだという思いがあり、どこか心の距離を感じていた。

実際には耳に障害をもった自分のために、父親はずっと地下室の作業場で補聴器を手作業で作ってくれていて、何度もそれを試しもした。

ただそんな父の愛情を素直に受け取ることができず、弟にばかり愛情を示す(と感じた)と感じた長女は、半ば家を出るようにして亡き弟の墓標にまで駆けていった。

何をするでもなく、ただ墓標におもちゃの飛行機を捧げる長女の胸の内には、きっと自責の念や父や母、自分自身のことなど、さまざまな思いがよぎっていたことだろう。

 

 

そんな彼女の苦悩と迷いは、最後に父親が示してくれた深い愛情の言葉によって、全てが解放された。

その後の彼女の行動と知恵は、まさに主人公のそれにふさわしく、母親と共に「何か」と闘う続編があれば、ぜひ見てみたいと思うほどに輝いていたのだった。

 

弱い弟が見せた土壇場の勇気!

 

勇敢で負けん気が強い姉に比べて、気弱な弟は、常に母親の庇護のもとにあった。

 

 

ただいつかは外に出て、自らの力で生活する力を得なければならない。

父親が息子にサバイバル技術を教えることに決めた時、息子は「嫌だ!外にはあいつらが一杯いるじゃないか!」と嫌がった。

ただ母に「大丈夫。お父さんがあなたを守ってくれるから」と説き、ついに山の中に父と向かうことになる。

そこで魚の取り方や「音」への対処の仕方などを学ぶが、帰り道に「何か」の襲撃を目の当たりにしてしまう。

 

 

急ぎ帰宅するが、そこではすでに母親による「危険信号」が家の外のランプに点火されていた。

父親は当然、自分の子供を身ごもった妻の救出に向かうが、すでに自宅に侵入している「何か」を追うためには、「囮」が必要だ。

そこで・・・

「息子よ。お前が囮になって花火を打ち上げてくれ」

と頼むことになる。

当然、息子は「ひえーっ」となるが、しかしそこは命がかかった修羅場。

「お前しか母さんを救えるやつはいない」と説き、ようやく息子は決心する。

その先に向かったのは・・・

息子に関してはここまでにしておこう。

とにかく息子は勇敢に戦い、姉を救った。

両親の愛情を信じ続けていたが、それは見事に果たされ、最後は新たに生まれた”命”を預かる働きを果たす。

従来ならば女性が担う役割を、今作では男である息子が担ったというのは、時代の流れなのかもしれない。

 

命を守る父と母の死闘!

 

家族の柱となる父親役にジョン・クラシンスキー、勇敢な妻の役をエミリー・ブラント

が演じている。

 

 

実は両者は現実生活でも夫婦ということで(初めて知って驚いた!)、そのリアルな仲の良さを映画上でも見せてくれたといえる。

www.cinematoday.jp

エミリー・ブラントといえば、「ルーパー」(2012)や「オール・ユー・ニード・イズ・キル」で戦う女性を演じたのが印象的だが、本作でも最後は戦う女の強さを見事に表現していた。 

yougaku-youga.hateblo.jp

夫の役柄は、終始感情を抑え気味にしながら(というか音をたててはいけないため)、家族を必死で守る誠実な人間という印象だった。

悲劇的な事故のせいで息子を失ったせいで、長女との関係が微妙になってしまうが、「それは私たちが子供を守ってやれなかったからよ」と妻に諭され、最後は長女に愛情を示して犠牲になっていったのが感動的だった。 

映画では語られなかったが、父親は自分の息子を亡くしたのは、少なからずとも長女の責任はあったと思っていたのだろうと思う。

もしあのとき、長女が息子に飛行機のおもちゃを隠して渡さなければ、あんなことには・・・そんな後悔がずっとつきまとう。

しかし観客である自分からすれば、最初のシーンで飛行機から電池を抜いただけで、店内のガラスケースに置いたままにしておいた自分の不注意さ加減をこそ、責めるべきじゃないかとも思う。

子供はいつだっておもちゃを欲しがるものだから・・

 

 

そんな奥底の気持ちを見透かされたのか、妻に先ほどの言葉をかけられ、ダメ押しをくらう。

「親が子供を守らないで誰が守るというの?お願いだから、今度は子供たちを守ってあげて」

と。

もちろん妻も自分の不注意が招いた結果であることを知り、共に親の責任を促しているのだ。

このシーンで感じたのは、まさに今日本で起きている「子供の虐待」に対する痛烈な批判ということだった。

いやこれは日本のみならず、アメリカでも起きていることなのかもしれない。

そんな親の責任を全うするため、夫は命をかけて子供を守り抜き、妻は新しい命と残された子供たちを最後まで守り抜いた。

 

 

その反撃のきっかけは、長女の「聞こえない耳」にあったのだが、それはここでは語らない。

夫と妻が最後まで守り抜いた「親の責任の果たし方」が、最も心に響いたシーンであったことは間違いない。

 

ツッコミどころ(軽いネタバレあり)

 

見所満載の凄腕ホラーだが、それでも「そこはどうなんだ!?」というツッコミどころはあった。

その一つは「何か」が自宅に呼び寄せてしまう原因となった、奥さんが地下室で洗濯物をとって階段を昇る途中の「あれ」だ。

釘が引っかかって全てが「ドワーン!」となるのだが、これも「お決まり」のようなもので、見るからに「ああ、ここから始まるんだな」ということをあっさり気づかせてくれた。

予定調和というのだろうか。

それはあまりに分かりやすいんじゃないか?と思わず突っ込んだところ。

もう一つが、絶対に音を立ててはいけない環境の中で、何気に家の壁に一杯写真やらの額縁がかけられているところだ。

これも見た瞬間に「これがきっかけになるんだろー」と突っ込んでいたのだが、幸いにこの壁の写真たちは何も原因とはならなかった。

そして映画の最後のシーンである、奥さんの「ドヤ顔」。

「何か」の弱点を見つけて、ついに撃退に成功するのだが、それを見つけた娘と一緒に「いくわよ」的な表情で映画を締めくくったシーンは、「今までの哀しみはどうなったんだよ!」と再びツッコミ。

あまりにも戦闘モードで、あまりにも「ドヤ顔」すぎる。

もともとこのエミリー・ブラントという女優さんは、基本の顔が「ドヤ顔」してるので、ちょっと決めた表情をするとすぐに「どや!」的な顔になってしまうのが魅力であり、鼻につく点でもある。 

 

 

この映画ではどっちかというと「鼻についた」観があったので、次回作につなげるならば、そのへんの表情変化をもう少しつけて頂きたいと思う。

そして問題の「何か」の正体だが、最初に述べたように、隕石と共に地球に飛来した宇宙生物だと思われる。

視力がなく、聴力だけで獲物を探しだす特徴を持つのだが、これが気持ち悪いことこの上ないビジュアルを持っているのだ。

獲物を探すときに鼓膜が全開になって、顔がブワッと広がる様は鳥肌が立つほど生理的嫌悪感を催すエグさがある。

 

何度見てもエグい顔だ

 

ただあまりにも気持ち悪すぎて「出来すぎ」という感じもあるというか。

もう少し余韻を残して欲しかったというか、作品の終末観を出すためにも、鵺のような「陰影感」が欲しかったというか、「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」のような雰囲気が欲しかったような気がするな。

もちろん史上最高の迷作「サイン」(2005)の宇宙人と比べれば100倍は怖かったので、ホラーもののクリーチャーとしては全然出来の良い部類だと思う。(サインで落胆させられた監督のシャラマン氏は2017年の「スプリット」が良かったので許す)

 

まとめ

 

全編を通じて、これまでの映画鑑賞であまり感じたことがなかった「尋常でない緊迫感」が素晴らしかった「クワイエット・プレイス」。

予告編ですでに面白さは感じていたのだが、予告と本編の面白さが乖離しているのはよくあることなので、正直あまり期待していなかった。

しかしこの作品はまさに期待通りの、いや期待以上の「心臓ドキドキ感」を提供してくれたと思う。

この手の家族がらみのアメリカ映画にありがちな「子供がすべて」的な要素は濃厚にあったが、今作品に限っては、それが一方的な視点ではなくて、子供の側にも葛藤があり、欠点もあり、それを親と共に克服していくという人間ドラマに見ごたえがあって、そのあたりが面白さを最後まで継続できたポイントではないかと思う。

そんな人間ドラマが活きる大前提になっているのが、映画のほぼ全編を覆いつくしている「無音」と襲い来る「何か」がもたらす「緊張感」

 

 

はっきりいってモンスター映画ともいえるが、残された家族が知恵を振り絞って戦う「サバイバル映画」とも捉えることができて、アメリカ人に特性の「最後まで生き抜くタフネス」に共感できれば、より面白さが増すと思う。

とにかく見ごたえ満点だった本作品。

これは今年の秋一番のおすすめホラークリーチャー映画といえるだろう。

ただ恐ろしく「心臓がバクバク」するので、病気がちの人や心臓に疾患のある人は絶対にお勧めできないので、ご注意を。

This is one of the horrible horror film I've ever watched since this 20years. At the same time, the falimily ties move me much. I think believing each other no matter what is the most important thing for every familiy.

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