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【エリック・クラプトン~12小節の人生 感想レビュー】涙があふれて仕方なかった!名曲に込められた想いと壮絶な生き様に心震えた2時間!(Eric Clapton life in 12 bars)

投稿日:2018年11月29日 更新日:

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クラプトンの自伝映画を劇場鑑賞した。

洋楽ロックが好きな人なら、ほとんどが聞いたことがあるだろう、超有名ミュージシャン、伝説的ギタープレイヤー。

自分の親父世代の年齢の人ということもあり、リアルタイムでは接したことがなかったのだが、学生時代にハマったMTVで生演奏を見て「ギターが上手い人だなー」という感想を持ってはいた。

ただファンというほどでもなく、ただ単に数多くのロックミュージシャンの一人という感じの認識しかなかった。

そんな自分でもクラプトンの映画というからには、きっと当時の面白い裏話が詰まっているに違いない、彼の世代ならビートルズやツエッペリンも活躍していただろうから、そういうのを見るのも興味をそそるかもな・・・程度の感覚で劇場に赴いたのだ。

そして鑑賞。

しかし、そこで繰り広げられるクラプトンの人生模様は、まさに「壮絶」という言葉がぴったりだった。

今回はそんなクラプトンの半生を描いたドキュメント作品について、ストーリーを追いながら感想交じりで伝えていきたいと思います。(思ったままのことを書くのでネタバレになっています。ご注意を)

母に捨てられた少年時代のクラプトン

映画では現在のクラプトンが自撮りでカメラに向かって語るところから始まった。

それはB・B・キングへの追悼の言葉だった。

B・Bキングが亡くなったのは、2015年5月のことで、おそらくこの冒頭の描写はその当時のクラプトンだったはずだ。

B・Bキングは1925年生まれのブルース・ギタリストで、ゴスペル出身らしく、迫力のあるボーカルとも合わせて、多くのミュージシャンに影響を与えてきたブルース界の巨人と呼ばれた人物だ。

後にブルースギタリストとして名声を欲しいままにするクラプトンも影響を受けたミュージシャンの一人で、キングの死は彼にとって親友が亡くなったというだけでなく、自分たちの世代が生きた時代の区切りという感覚もあったのではないかと思う。

その後、映画の描写はクラプトンの少年時代へと移る。

イギリスのリプリーで生まれたクラプトンは、少年時代を恵まれた環境で暮らしていた。

彼を愛する両親がいて、内向的だけれども、自分を表現する音楽に出会い、その道へと進んでいく・・・

といいたいところだが、実はクラプトンが親だと思っていたのは実の姉で、本当の両親はすでに家にはいなかったのだ。(祖父母が両親代わりだった)

クラプトンが生まれたのは、カナダ軍の兵士だった父親と、祖父母の娘である彼の母が結ばれた結果だった。

その後、父親はカナダに帰ってしまい、母親は別のカナダ人の兵士と結婚し、幼かったクラプトンを祖父母に任せて家を出て行ってしまう。

母親がいないことを知ったクラプトンはショックを受け、心の支えのためにファッションや音楽にのめり込んだ。

そのときに出会ったのがブルースであり、クラプトンの一生を定める運命の楽器「ギター」との出会いでもあった。

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スターダムへの階段を駆け上がるクラプトン

それからの展開は、ファンの人なら普通に知っている内容だと思う。

ルースターズ、ケイシー・ジョーンズ・アンド・ジ・エンジニアズ、ヤードバーズ、ジョン・メイヨ―ル・ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス・・・

まだイギリスでブルースという黒人音楽が一般に認知されていなかった1960年代に、クラプトンは本格的なブルースギターで多くのファンを虜にしたという。

ロンドンの街には「Clapton is god」(ギターの神)と壁に書かれた落書きが出現したり、バンドではボーカルよりもギターの彼のほうが人気がでるまでに至った。

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中でもクリームは最も有名で、アメリカで人気が爆発したときも、ツアー中に40分間も即興で楽器の演奏だけを続けるなど、思うがままのプレイをしてファンを引き付けた。

クリームといえば、ドラマーのジンジャー・ベイカーの若かりし頃の姿が拝見できて非常に光栄だった。

アメリカツアーでの即興プレイでのジンジャーの激しいドラミングは、後の若きドラマーたちに大きな影響を与えたと思うが、後年の彼がインタビューで「あれは楽しくて叩いてたんじゃない、怒り、苦痛だよ。アンプの音が大きすぎて俺は自分の音を聞くために苦しんでいたんだ」と語ったことをこのライブシーンで思い出し、ちょっと笑ってしまった(苦笑)

ジンジャー・ベイカー、ヘビメタに一言申す!!

そんなクリームもメンバー間の人間関係の悪化が原因で解散し、その後に組んだブラインド・フェイスも一枚のアルバムを発表して解散。

80年代に「ハイヤー・ラブ」などのヒット曲で上質の大人のポップラブソングを聞かせてくれた、ウィンウィッドの若かりし頃のライブセッションを映し出していて、このシーンに限っては横でブルースギターを奏でるクラプトンよりもウィンウィッドの素晴らしい歌唱力のほうに耳と目を奪われてしまった。

MTVのヘビロテだったスティーヴ・ウィンウッド 『ハイヤー・ラブ』

話をクラプトンに戻すと、ジミー・ヘンドリックスや、ビートルズのメンバーと交流が深く、特にジョージ・ハリスンとはお互いの妻や恋人同士で家を行ったり来たりする仲だったという。

そしてこのときにハリスンの当時の妻だったパティへの横恋慕が、後のクラプトンの人生を大きく狂わせてしまうのだ。

パティへの禁じられた愛・・そして依存症へ

もともとクラプトンにはモデル出身の恋人がいたが、休日にもギターをかき鳴らして、声をかけてもギターで返してくるクラプトンに愛想を尽かし、別れてしまう。

幼少時代から母からの愛情を受けず、その心の隙間を音楽で埋めてきたクラプトンにとって、こうした反応は仕方のないことだった。

少年時代に海外にいた母親から、祖父母らとともに一緒に遊びに来るように誘われ、皆で訪ねて行ったことがあった。

しかし滞在先で向こうの父親から「髪を切れ」と言われて短くされてしまい、持っていったギターを腹違いの弟たちに壊されてしまう。

幼いころ、初めて家に帰ってきた母親に「お母さんになってくれるの?」と訊ねたときに「ならない」と断られ、心に深い傷を負ったクラプトンにとって、その心の隙間を埋めてくれたのはファッション(髪型)や音楽(ギター)だった。

いわば自分自身のアイデンティティーともいうべき2つを否定されたということ。

まるで自分という人間を否定されたような気持になったクラプトンは、この時以来「誰も信用しない」と決めるのだ。

そんなトラウマを持つクラプトンにとって、唯一心から一緒にいたいと思った女性。

それが親友であるジョージ・ハリスンの妻、パティだった。

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禁じられた愛だと知りつつも、クラプトンは執拗にパティに言い寄る。

一度だけクラプトンの想いを受けてベッドを共にするが、そこまでだった。

結局は夫の元に返ってしまったパティを取り戻したいと願うクラプトンは、彼女のためだけに捧げた「いとしのレイラ」(1970)を当時在籍していたロックバンド「デレク・アンド・ザ・ドミノス」からリリースした。

「いとしのレイラ」は往時のクラプトンの全く知らない自分でも聞いたことがあるパワーバラード曲で、サビの「レイラ!」とソロのギタープレイがすごく格好いいと今でも感じる。

この曲が収録されたアルバムは全曲がパティのために作られたものらしく、完成後に実際にパティに聞かせて感動されたという。

そんなクラプトンの必死の思いも届かず、パティは彼の想いを受け止めることができなかった。

孤独と絶望。

クラプトンは一人ぼっちになったのだ。

ここからクラプトンの長きに渡る薬物中毒、アルコール中毒の日々が始まるのである。

復帰そして・・・悲しき事故

70年代初頭から薬物とアルコールにおぼれ始めたクラプトンは、イギリスの郊外にある邸宅から一歩も外に出なくなっていた。

新しい恋人と共に生活を始めるが、毎日アルコールを手放すことができなくなっていたという。

やがて数年後にようやく復帰の兆しを見せて、新たに結成した自身のバンドと共にツアーを行うも、すでに重度のアルコール依存症だったクラプトンは、ステージ上でも酒を飲み、気に喰わないと数分でショウを止めてステージを降りるということを繰り返すようになっていった。

このときのインタビューで彼はこう答えている。

「アルコールに溺れているときは、自殺願望はなかった。だって死んだら酒が飲めなくなるから」

この当時にリリースしたアルバムは結構な数になったようで、映画の画面で紹介されただけでも10枚近くはあったように思う。

しかしクラプトンは「この当時に作ったアルバムは好きじゃない。酒の思い出しかないから」と語っていたのが、いかにもアル中らしくて印象的だった。(廃人の一歩手前だったということだ)

しばらくしてハリスンと正式に離婚したパティが、クラプトンと生活を共にするようになる。(この後のあれこれはwikipedia「パティ・ボイド」に詳しく載っている)

アル中だったクラプトンとの生活は困難を極めたが、やがてクラプトンは別の女性イボンヌと関係を持ち、二人の間に娘が生まれた。

さらにクラプトンはイボンヌと別れ、イタリアで出会った女優ロリ・デル・サントとの間に男の子をもうけ、ここでパティとの関係がついに終焉する。

すでに年代は80年代後半になっていて、私自身も高校生になっていた。

ここでようやくクラプトンの存在が当時の私の視野に入ってきたのだ。

すでに50代に入っていたクラプトンは、長きに渡ったアルコール依存生活に、ようやく終わりを告げる時がきていた。

それはイタリア女性との間に生まれた息子コナーの存在だった。

クラプトンはこのとき「もういつまでもバカはできない。大人になれと諭されたような気がした」と語っている。

生まれて初めて、自分ではなく誰かのために生きると決めたのだ。

こうして新しい生活が始まり、息子のことをいつも考える立派なパパに変身していった。

そんなある日。

妻からの電話で尋常でない状況が知らされた。

当時、宿泊していた高層ホテルの窓から、息子が誤って落ちてしまい、亡くなったという知らせだった・・・

たった一人の息子を亡くしたクラプトン。

自分以外の存在のために人生をやり直そうと、前に進み始めた矢先の悲劇だった。

その悲しみは例えようもない、深い絶望に似たものだったに違いない。

葬儀を終え、イギリスの邸宅に戻った後、たくさんの弔問の手紙を一つ一つ読んでいた。

このまま自分は再びアルコールに手を出すのかもしれない。

この言いようのない寂しさを紛らわすために。

そう思っていたとき、手紙の中から子供の文字があった。

「またパパに会いたい」

亡くなった息子コナーが生前に、ツアー中で家にいないクラプトンにあてて書いた手紙だった・・・

これを読んだクラプトンはこう思ったという。

「これからは息子のために生きる。息子への想いを音楽で捧げたい」

そしてこうとも。

「幼いころ、母親から拒絶されて音楽に出会い、自分は救われた。息子を亡くし、(自暴自棄になりかけた自分を)再び音楽が救ってくれた」

こうして生まれたのが「ティアーズ・イン・ヘブン」だ。


Eric Clapton - Tears In Heaven (Official Video)

もしも天国で出会ったら

君は僕の名前を覚えているかい?

もしも天国で出会ったなら

君は前と同じままなのかな?

僕は強くならなくてはいけない

前に向かって進んでいかないといけないんだ

なぜって、天国は僕がいるべき場所ではないとわかっているから

もしも天国で出会ったら

君は僕の手を握ってくれるかい?

もしも天国で出会ったなら

僕が立っていられるように助けてくれるかい?

僕は自分の進むべき道を見つけていくよ

昼も夜も

天国が僕がいられる場所ではないって分かっているから

不覚にも、この曲が当時のMTVで流されるシーンがスクリーンに映しだされたとき、私は泣いてしまった。

曲が終わってからも、しばらく涙が止まらなかった。

恥ずかしながら、今の今まで、この曲にこんな深い背景があったとは知らなかったから・・・

もちろん90年代初頭にヒットしたときも、この曲を知っていたし、亡くなった子供さんに捧げられた歌だとは聞いていた。

しかし亡くなってしまった経緯や、それに至るまでのクラプトンの人生、母親に拒絶されて以来、ずっと何かから逃げてきて数十年、ようやく守るべきもの、安住の地を見出したクラプトンを襲った、悲しすぎる転落事故・・・

これらすべての背景をこの映画で、それも映像で初めて知ったとき、この曲を歌うクラプトンの静かな表情、曲、歌詞の意味、全てが心の中に染み込むように入ってきて、無性に悲しさがこみあげてきた。

きっと自分自身が40を越えたせいもあるかもしれない。

まだ10代だったあの頃に、この歌の背景を知っていたとしても、ここまで心がしみじみと震えることはなかっただろう。

映画の中で一番、心が揺さぶられた瞬間だった。

再生、そして新たな一歩を

悲しい事故を乗り越え、音楽によって心を癒されたというクラプトンは、再び音楽の道に戻る。

その後、別の女性と恋に落ち、三人の女の子が生まれた。

前妻イボンヌとの間にできた最初の娘の結婚式にも出席し、お爺ちゃんになる幸せも得た。

3人の女の子と妻に囲まれて暮らすクラプトンは、スクリーン越しに見ても、とても幸福そうで満ち足りた笑顔をしていた。

やがて自身の経験を生かすために、薬物依存の患者のための治療センターを設立することになった。(クロスロードセンター:アンティグア)

12 Step Treatment Center | Crossroads Centre Antigua

そして最後のシーン。

治療センターのためのチャリティーコンサートのステージで、招かれたB・Bキングがクラプトンにこういった。

「友人は多くいるけど、クラプトンほどの仲の友達はいない。どうか俺より長く生きてくれ。そうすれば、少しでも長く、君の顔を見られるから」

その数年後、キングは自宅で天寿を全うした。(2015年5月)

ここで映画は終わった。

冒頭のクラプトンのシーンでのB・Bキングへの哀悼の意。

そして最後のキングのシーン。

ブルースの神様だったB・Bキングを、映画の最初と最後に持ってくるその意味はよく分からない。

エリック・クラプトンはブルースの中から誕生し、そしてブルースによって生かされたということを示したかったのだろうか。

まとめ

映画を見終わって思ったのは、この作品はクラプトンの「心の旅路」を描いたものであり、音楽はそれを支える「杖」のようなものであったということ。

アル中で苦悩する間までの人生は、正直「どうしようもないクソ野郎」という言葉がぴったりくるほど「破滅的」な生き様を感じたが、これも幼い頃に実の母親から受けた「満たされぬ愛情」がトラウマとなり、「いつも何かから逃げているようだった」という独白を証明するかのように、本人にもどうしようもないものだと同情的にもなった。

ギターサウンドが「耽溺的」「官能的」で引き込まれてしまう「エロス(色気)」に満ちて、どこか「危うさ」を持っているのも、その生き様を考えれば仕方のないことだとも。

そしてそれが強烈な魅力になっていたのだと。

だが「ティアーズインヘブン」ではそういった毒気が抜け、「穏やかさ」「優しさ」に満ちていて、まるで天国にいる息子さんに捧げる「子守歌」のようにも感じた。

苦労が人を成長させる、とは、息子さんを失ったクラプトンには安易すぎる表現だと思うが、長年にわたり言葉に尽くせない苦しみを身の内に感じてきた彼だからこそ、この優しさに満ちた曲が自然に心に染み、多くの人にその想いを伝えることができたのだと思う。

ギターがクラプトンを救い、ひと時でも苦しみから解放したのだと・・・

クラプトン自身の心にある深い傷は、きっと癒えないままだだろう。

だけど、たとえ癒えないままにも、時がそれを優しくなだらかなものに変えてくれる。

映画の後半での彼の笑顔は穏やかで、ごく普通の父親そのものだった。

私自身も自分の過去を振り返り、クラプトンの波乱万丈な人生とは比べるべくもないが、わずかながらも存在する哀しみというものを思う。

まだ彼の年齢までは数十年あるが、それまでにあんな満ち足りた笑顔を自分はしているのだろうか?

天国に旅立つ日がくるまで、誰かの心を癒せるような人生を送ってみたいと思う、そんな気持ちにさせてくれる作品。

久しぶりに心に響く”何か”を感じさせてくれた自伝映画だったと思います。


映画『エリック・クラプトン~12小節の人生~』予告編

When the song  "tears in heaven" singed, my eyes filled with tons of tears. So sad to know about son's loss and also moved by song's lylics...


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