かつてはハリウッドといえばキングコングを想像してしまうほどに、伝統的なアメリカ映画の象徴的な存在だった怪物キャラクターです。
今回はその最新版の映画を観たので感想レビューを紹介します。
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キングコングがリバイバルした理由
80年代以降はスターウォーズやインディ・ジョーンズ、バック・トゥ・ザ・フューチャーなどのSF系娯楽作品にその座を奪われてきましたが、数年前から、この流れが少しづつ変わってきていて、こういった想像上の動物キャラが再び映画界の主役の座に帰り咲くような雰囲気が出来上がりつつあるような気がしますね。
その起爆剤を作ったのは、おそらくピーター・ジャクソン監督の「ロードオブザリング 」あたりその始まりじゃないでしょうか?(憶測ですが)
ロード~はもちろん人間型のキャラクターを主人公なのですが、物語を特徴づける様々な神話上や想像上の怪物、動物たちが映画の華を添えていたと言っても過言ではないと思います。
この作品が世界的に大ヒットしたからこそ、以降のイマジネーション系娯楽大作が数多く花開く結果になったのではないかと思いますし、ほぼ同時期に出てきたハリーポッターもその流れを加速させた感はありますね。
その少し後に出てきた日本のゴジラのリバイバル作品「シン・ゴジラ」なんかは、日本オリジナルとしての怪獣コンテンツのプライドとポテンシャルを、さらに別次元に引き上げた気もするんですよ。
そんな個人的な思いが織りなす映画史の流れの中で出てきた、今回のキングコング。
実は「キングコング」のリバイバルは、先ほども出てきたピーター・ジャクソン監督が数年前に果たしていて、けっこうなヒットを飛ばしたことが記憶に新しくてですな。
もともとジャクソン監督はキングコングを撮りたかった映画監督になったというほどのキングコングおたくで、ロード~もそのための布石だったという話をどこかのインタビューで読んだことがあります。
それくらいキングコングという存在は監督の心を掴んで離さなかったのですが、その理由というのは、映画監督としての観点だけでなく、子供の頃に衝撃を受けたという感覚が彼をしてそこまでKGに惚れこませた原動力になったような気がしますね。
幼児期や思春期に受けた影響というのは成人してからもずっと深く心のどこかに残り続けますから(私が子供の頃に洋楽にほれ込んだように)
長くなりましたが、そろそろこのへんで本題のキングコングレビューに移りたいと思います。
キングコングそれは父性の象徴か
はっきり冒頭でネタバレしてしまえば、キングコングというのは、島の守り神として愛されているのですよ。
島民からも、島に墜落して生き残ったアメリカ兵からも。
それは決して伝説としての空想上の観念からくるものではなく、自分たちを守ってくれるからという実利的な理由から。
島には恐ろしい生き物がうようよいて、その中でも最狂最悪といえるオオトカゲの化け物の脅威が長らく島民たちを悩ませていました。
しかしある日を境に、キングコングが現れて、化け物と格闘するようになってから、状況は少しずつ良くなっていったのです。
コングがオオトカゲを敵視する理由として、島の弱き動物たちを守るためだとか、家族をオオトカゲに殺されただからとか、色々あるようですが(復讐のためだとしたら、すでに知能は人間並みじゃないかと)、少なくともジェラシックパークの恐竜のように、無差別に人間を襲うような真似は絶対にしないというところが守護神としての最大のポイント。
なので島を訪れた調査隊が襲われたのは、コングの中ではあくまで正当な理由があって行ったことで、決して凶暴であるがゆえの所業ではないんだよウホウホ!と、コングにインタビューをすればきっとそう語ってくれそうな気がする序盤のバイオレンス展開。
こうして島民は、いざという時にはキングコングがやってきて自分たちを守ってくれる、そう信じ、実際にそうなってきたからこそ、彼らはコングを神と崇めるようになったのです。
このくだりが映画の中で明らかになるにつれて、キングコングを単なる怪獣でなく、強さと優しさを併せ持ったコング親父としての親近感を観客に持たせるきっかけとなるのは間違いないでしょう。
まさに「キングコングは男前なやつ」というわけです。
いきなりコング論の核心部分から話を進めてしまいましたが、むしろ他の話の流れは自分的にどうでもいいといえるほど、このコングの島との関係性が非常に大事だということを、まず初めに語らせてもらいたいと思います。
アメリカがキングコングと関係性をもった経緯
なんだか文化史的なタイトルになってしまいましたが、もちろん映画の中の設定部分の話です。
以下にストーリの大まかな流れをまとめてみましょう。
日本とアメリカが戦った太平洋戦争中のこと。
二機の戦闘機が不時着した謎の島で、アメリカと日本の戦闘機パイロットの二人がピストルと日本刀を持って戦うシーンから始まります。
お互い一歩も譲らない戦いを続ける中、日本兵が有利になってアメリカ兵が危機一髪!となったときに突然、二人の背後に巨大な影が現れたのです。
驚いて振り向いた二人の前には、キングコングの顔があったのでした・・・
時代は変わって、それから28年後の1973年。
アメリカ政府の秘密研究組織「モナーク」が、ある島の調査に乗り出すことになり、ベトナムに駐留する米軍ヘリコプター部隊と協力して島に向かうことになったのです。
そして向かった先で調査を始めた時、突然キングコングの襲撃に遭います。
必死の抵抗も空しく、多くのヘリや搭乗員を失い、生き残った兵士や研究員は命からがら島に逃げ込むことに。
そこには想像を絶する未知の生き物がいて、そこでもさらに多くの犠牲者を出すことになるのでした・・・
映画の核心部分の設定として「キングコングは島の平和を守る偉大なる存在」だということ。
はっきりいってしまえば、キングコングは「ターザン」であり「スーパーマン」であり、数多くあるアメリカンヒーローの一員的な存在の扱いを受けている、ということです。
なぜヒーローたるコングがいきなり人間を襲ったのかというと、それは島の地層を調査するという名目で、ヘリ上空から爆弾をいくつも島のあちこちに落としたからに他なりません。
これによって島に住む動物たちも犠牲になったでしょうし、なによりコングにとっては、大切な我が家でもある島にいきなり無断で入ってこられて爆弾を落とされるような行為は決して許すべきものではなかったのです。
「自分の家の庭にいきなり爆弾落とされたら、お前だってブチ切れて当然だろう?」
作品中でも登場人物が仲間に語っていました。
さらにこの爆弾の衝撃で、地中に住むオオトカゲの化け物を刺激してしまったことも「コング激怒」の理由の一つかもしれません。(この怪物がまた気持ち悪かった!)
爆弾投下によって「地中の悪魔」と呼ばれた彼らの活動が活発化して、より多くの島の生き物が犠牲になってしまうと感じたコングのアイランド守護神としての危機感というべきか。
こうした一連の流れを受けて「島のターザン」的存在であるコングが人間の行為に対して「お前ら、なにしてくれとんじゃあー!」と怒り狂ったのも無理もなく、怒れる守護神としてそれに見合う制裁を人間どもに科したというのも実に納得できる理由です。
こうしてキングコング激怒の末に、多くの兵士と研究員を失った調査隊でしたが、これによって失ったのは貴重な人材と物資だけではなかったのでした。
緊急時において絶対に必要な現場リーダーの資質、何より大切なヘリ部隊長の「理性」をも失わせてしまったのです。
キングコングを巡る人間劇
ヘリ部隊を率いるパッカード大佐はベトナム戦争の英雄で、大統領から勲章を授けられるほどの筋金入りの戦士でした。
だからこそ負けたわけでもないのに、政治的な理由でベトナムから撤退せざるを得ない状況や、これまで犠牲になった自分の部下のこと、戦場での苦労、積み上げてきた武勲のことが胸に去来して、何か説明のつかないモヤモヤ感を抱いたまま、駐留軍部隊としての最後の日々を送っていたのでした。
(自分は一体この数年間、この地で何をしていたのだろう?俺の存在価値ってのは・・)
そんなとき、上官からの調査隊の護衛の命令が下ったのです。
消えないモヤモヤ感を晴らすにはもってこいの任務、というべきか。
「了解しました。ありがとうございます」
大佐は喜んで引き受けたのでした。
一方で失望の色が隠せないのが、彼の部下たる兵士達。
明日には撤退できる、本国で家族と会えるぞと喜んでいたところに、新たな任務を下されて「ええ・・」と落胆するものもあり、すでにこの辺りから大佐の思いと部下の思いが離れている情景がありありと映し出されていたと思います。
そして到着した島で、いきなりのキングコングの襲撃。
調査を担当する研究員の指示のもとで行った爆弾投下が原因でしたが、そのことについて詳しく知らされていなかった大佐は、目の前で自分の指揮下のヘリや部下がむざむざと死んでいく情景を目の当たりにして、心の中の”何か”が崩れ落ちました。
「やつは許せない。俺の手で絶対に倒す!」
燃え盛る炎の中で暴れまわるコングを見つめる大佐の瞳には怒り、憤り、不満、哀しみなど様々な負の感情が宿されて暗い光を放っていました。
コングの襲撃はあくまできっかけにしかすぎません。
それはあくまで大佐の心の闇を解き放つ格好の題材にしか過ぎなかったのでしょう。
こうしてサミュエル演じるパッカード大佐は静かな怒りをため込んだまま、部隊と共に復讐の機をうかがうことになるのです。
一方で別行動を続ける研究員と女性カメラマン、そして調査隊の護衛役である元英国特殊部隊員の一行は、島をさまよううちに冒頭に触れた島民と遭遇します。
それはまるで秘境に住む東南アジアの部族といった出で立ちで、無言で彼らを囲む姿には鬼気迫るものがありました。
そこに突然現れた一人の男。
この男こそが、映画の序盤で日本兵とともにキングゴリラを目の前にして驚愕する第二次世界大戦の生き残りのアメリカ人戦闘機パイロットだったのです。(若かりし頃の日本兵の役を演じたのは、ミュージシャンのMIYAVI)
その後28年間、島で生き延びた元パイロットは、島民に救われて生活を共にしていたのでした。
かつて命のやり取りをした日本兵とも和解し、一緒に島を出るための脱出用ボートを作っていたのですが、この日本兵もオオトカゲに襲われて命を失ってしまいます。
「不名誉より死を・・・」
作中には映画好きの監督による複数の映画へのオマージュがちりばめられており、元パイロットが島の墓所で亡き友の形見である日本刀を持ってこの言葉をつぶやくシーンも、その一つかもしれません。(後にこの日本刀は大活躍します)
一方でヒロイン役となる女性カメラマンですが、この人は日本刀と違い(失礼!)あまり印象に残りませんでした。
確かに美人で顔立ちも整っていますが、役柄としての反戦カメラマンの鼻っ柱の強さも序盤以外は特に目立つこともなく、調査隊メンバーやコングとの絡みも非常に抑えた感じで、別にこの人でなくても良かったんじゃないか?と思えるくらい。(笑顔は少年のように無垢でしたが)
このヒロイン役と双璧を成すヒーロー的な役割のはずの元特殊部隊員も、女性カメラマン同様にキャラが非常に薄くて、いかにも「ワイルドで知性的」な雰囲気以外は、ごくごく普通の登場人物になっいてましたね。
調査隊メンバーのほとんども印象は残らなかったし、唯一「おお!」と思ったのが、マリオみたいな顔をした調査隊研究員の現地責任者っぽいおじさんが、船に乗っているときに複数の小型の肉食竜に襲われて空に連れていかれて、途中で腕をもがれるシーンでしょうか。
シルエットだったので、まるで切り絵みたいでしたが、それがまた妙に残酷さを増してましたね。
ああ、このあと巣に連れていかれて食われたんだろうかと思うと・・(涙)
調査員といえば、生物学者の役で東洋系の女性が出ていましたが、この人も最後まで生き残る割には、一番言葉数も少ないし、印象に残らないことではトップ3に入りますね。
映画の冒頭で中国のスポンサーらしきロゴが表示されていたので、ああ、この作品も最近のハリウッドによくある中国資本参加の映画なんだなと思いましたが、この女性の配役を見てると、制作側がそこに配慮した感が丸出し的な雰囲気をバリバリに感じます(笑)
なかなか好印象の方だっただけに、もう少し活躍させてあげたらと思いましたけどね。
というか、この映画でキャラ的に一番印象に残ったのは、ヘリ部隊長のパッカード大佐と、キングコングだけなんじゃないですか?
あと少しキャラとしての印象度は落ちるけど、生き残った元アメリカ航空兵の人とか。
結局、この映画の柱の一つは、ルサンチマンを持つ一人の軍人と、大自然の申し子のようなキングコングとの対決が示す「人類の宿業と自然との相克」の物語であるような気がするんですよ。
壮絶!キングコングとオオトカゲとの一騎打ち!
そしてもう一つの大きな柱として、そしてこの作品の最大の目玉として、巨大生物の格闘シーンがあります。
これはもう何の思想的背景とか文化的深読みとかもなくて、シンプルに「ワールド怪獣プロレスリング」。
とにかく壮絶きわまりないです。
キングコングとオオトカゲの両者が死力を尽くして闘い合う様はまさに「猛獣一騎打ち!」という感じで、とにかくその情景は見る物の全てを引き込むエナジーに満ち溢れていたように思うんですよ。
もちろん物語がここまで進んでいる以上は、見ている我々はキングコングに肩入れせざるを得ません。だってオオトカゲが生き残ったら島にいるすべての人間が食われてしまいそうだもの!
さらにキングコングに肩入れする理由として、その少し前に大佐が仕掛けた罠にコングがはまって、体中に炎を浴びて大やけどを負って死にかけたというシーンがあったからなんですね。
まさになんちゃらの「判官びいき」というやつで、深手を負いながらも、目の前の人間や島の生き物を守るために身体を張ってオオトカゲと戦うコングを見ていると目から水が出て仕方なく(心の涙)
そうした背景がある前提でコングを無条件に応援しながらも、両者のその闘いざまはまさにプロレスそのもので、嚙む、投げる、殴る、振り回す、凶器を使ってぶちのめすなどなど、ありとあらゆる大技を使ってドカンドカン暴れまわる姿には、敵味方の垣根を通り越して「気持ち良さ」すら感じてしまいましたから。
もちろん勝利はコングに上がるのですが、そこでさらに憎き化け物を倒したヒーローの勝利ということで、更なるカタルシス到来。
ここは本当に気持ち良かったですね。
もうこのシーンを見るだけでも、この映画を見た甲斐があったというものですよ。
エンディングについて
こうしてオオトカゲを倒したコングは静かにその場から立ち去るのですが、そこでタイミングよく到着した救援部隊を見て振り返ると、胸を叩いて「ガオーーッ!」と大吠えするシーンで終わりました。
ここのシーンについてはレビューで面白い見方があって「お前ら、もう二度とこの島に来るんじゃねえぞ!」的な叫びなんだというのがマイベストなコメント^^
さらにこの後にアメリカ本土に戻った元航空兵が生き別れになっていた(28年間会っていなかった)自分の息子と奥さんに自宅で再会するシーンが映し出されますが、島にいるときに語っていた「俺の一番の夢はアメリカに戻ってカブスの試合を見ながら、ビール片手にホットドッグをほおばることなんだ」という夢がついに実現できた、かなり爽快なシーンでもありました。
セピア色がかったフィルム調になっている映像効果も回想シーンとして雰囲気が出てましたね。
この元航空兵役の俳優さんは、よくコメディ映画で冴えないおっさんの役を演じているのを見た記憶がありますが、こうしてメインの役を演じるのを見てみると、なかなかいい味を出している人です。
全体の中で見た配役としては、サミュエル・L・ジャクソンの演じたパッカード大佐が一番ハマリ役でしょう。
「パルプ・フィクション」(1994)以来、最も好きな個性派俳優の一人ですが、どの作品でも見せてくれる「余裕ある振る舞い」と「その奥に隠し持った狂気」とそこから生まれる「静と動の狭間のギリギリの演技」が持ち味だと常々感じています。
パルプ~での配役だった「神に目覚めるギャング役」なんかまさにそうした狂気を持ち合わせていましたし、スターウォーズ3のメイス役でも真面目ながら原理主義者的な振る舞いでジェダイを破滅に追いやった堅物振り、そして最近の「キングスマン」のIT長者役での文字通り狂気のテロリスト役や、タランティーノ作品「ヘイトフルエイト」(2015)での賞金稼ぎの役など、どれも一筋縄ではいかないクレイジーな演技が彼のアクターとしての真骨頂だといえると思います。
今作でもその魅力を存分に発揮してくれていて、憎しみをもってコングを見つめるまなざしは、まさにクレイジーの一言。
これがあるからこそ、あの存在感もパワーも圧倒的なコングを敵に回してなお、一歩も引かない強さが出てくるのでしょうね(はたから見れば迷惑な話ですが)
最後には良心に目覚めた部下に裏切られた挙句、怪獣に殺されてしまうのですが、その呆気ない最後は、スターウォーズでパルパティーンに窓の外に飛ばされたあのシーンを彷彿とさせてくれて、本当にこの人は呆気なく舞台を去るのが好きなんだなあと、しみじみ思ってしまいました。
そしてもちろんコング。
このコングの圧倒的な強さはもちろんのこと、ときおり見せる眼差しに「慈愛」「優しさ」を見て取れるところに、この映画で監督が描きたかったコングの存在理由の全てが凝縮されているように思いますね。
強くなければ生きていけない。
優しくなければ生きていく資格はない。
ハードボイルド探偵フィリップ・マーロウの言葉ですが、これを地でいくコングはまさにハードボイルドといえるのではないでしょうか。
そしてアメリカはいま強さを追い求めている。
その強さが皆のものなのか、限られたものにのみ与えられるものなのか・・・
ハリウッドがアメリカに、トランプ大統領に何かを託した作品かもしれないと勘繰りつつ、日本人としては単純に「ゴジラと対決してほしいな~」と楽天的に捉えていました。
そして実際に次の作品でですね・・・
いや、ここまでしておきましょう。
実はエンドロール終わりに一幕がありまして、エンドロールが始まって半分くらいの観客が席を立って帰っていましたが、最後までいた我々はすごく良いものを見ましたから。
ここで先ほどのゴジラうんぬんの話が関係してくるのですが・・・
まあそこは実際に映画館に足を運んでもらって見て頂ければと。
とにかく久々にスカッとした怪獣映画であることは間違いありません。
最後の格闘シーンだけでも観る価値あり!の作品だと思いますよ^^
*ウィキで見ると監督は実際にゴジラと対決させるつもりみたいですね。
キングコング: 髑髏島の巨神 - Wikipediaより
映画『キングコング:髑髏島の巨神』VR映像【HD】2017年3月25日公開