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【マンオブスティール】ケビン・コスナーの熱い父親ぶりに感動した!

2014年1月30日

2013年の映画界の話題をさらった感のある現代版スーパーマンだが、様々なレビューが飛び交う中、私は個人的にこの映画の最大の魅力はなんといっても、ケビン・コスナー演ずるジョナサン・ケントの男前すぎる最期であると思う。

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男前すぎるストーリー

宇宙人であることを知っていながら、実の我が子のように慈しんで育てた母マーサがダイアン・レインであったことを知ったときの衝撃よりも(だって往年の美人女優ですよ!)、自らの特殊能力に困惑し孤独に落ち込む息子に優しい目を向けながらも、決して言葉多く励まさず、ただただ「自分の力で人生を見つけるんだ」と諭した男の中の男。

農作業の帰りに一家で車を走らせる途中に遭遇した竜巻。

逃げ惑う人々を誘導し、車に閉じ込められた犬を逃がそうとする最中、気が付けば目の前に竜巻が迫っていた。

助けに行こうとするクラークを制し、ジョナサンは微笑んだ。

「行け。クラーク。お前はお前の道を進むんだ」

クラークの超人じみた能力をもってすれば、父ジョナサンの救出など簡単なことだった。

だがそれをしてしまうと、周りの皆が彼の力に気付いてしまう。 最初こそ称賛され、その力に憧れさえもたれつつも、いずれは疎まれて迫害されるだろう。

人は結局自分と異なるものを受け入れないのだ。

それを知っていた父ジョナサンはあえてクラークの助けを拒み、自らの死をもって彼に先を進む決意を促したのだった。

なんのためにこの星にきたのか、それを探すのがお前の使命だと、ジョナサンは幼き頃からずっとクラークに言い聞かせてきた。

「父さん!」

クラークは激しく涙した。

竜巻に巻き込まれて消えていった父親を前に何もできなかった己のふがいなさ・・・・

決して父の死を無駄にしない。

クラークは涙を拭いて、己の存在する意味を探す旅にでるのだった。

男前へ送るレビュー

普通ならこういうアクション大作のレビューは、肝心のアクションシーンや登場人物のあれこれとか撮影秘話などをメインに進めていくのだろうけど、そういうのは他の皆さんがすでにやりつくしているだろうから、あえてこの記事では書かない。

先ほど熱く書いたように、私はこの映画を見て最も心を熱くしたのは、父ジョナサンの自己犠牲だ。

 

自らの死をもって他者の生きる道を開く

 

これは典型的なキリスト教の自己犠牲の精神の発露だと思うのだが、それ以上にかつて週刊少年ジャンプで心を熱くした魂の80年代ゴールデン漫画世代の一員として、この場面は北斗の拳のある場面にそっくりだと思うからだ。

南斗六聖拳の一人、南斗白鷺拳のシュウ。

かつて同門だった聖帝サウザーに欺かれ、聖帝陵の頂上で生きたまま礎となった男。

核戦争後の荒れた世界で、無敵の体術を誇る北斗、南斗の拳士たちは、おのれの超人的な技と力で荒くれの大地を統御しつつあった。

すでに北斗の長兄ラオウは拳王として世界の統一を成し遂げつつあった。

かたやもう一派の南斗の拳士たちも、それぞれの軍団を率いて戦い、中でも南斗最強の男としてサウザーが南斗の一派をまとめて北斗最強の男ラオウに対抗しつつあったのだ。

そんな中、南斗の優れた拳士シュウは覇権争いには加わらず、むしろ力による統一を嫌ってレジスタンスに加わっていた。

そんなかつての仲間であり、同門の友のまつろわぬ態度を嫌ったサウザーは、謀略を図ってシュウを捕らえ、己が造成させていた聖帝十字陵の最後の仕上げとして巨石を背負わせ、陵墓の頂上で生きた柱として殺そうとしていたのである。

断れば彼を慕う子供たちを皆殺しにすると脅しながら・・

すでにサウザーによって戦闘能力を奪われていたシュウは、ただサウザーの命じるまま、頭上に抱えた巨大な石を聖帝陵の頂上に運ぶしかなかった。その無慈悲な命令に対し、シュウはかつて仲間であったサウザーの覇道を止められかなったことを自らの不明とし、死をもってそれを償わんと、ひたすら頂上に向けて歩き続けたのである。

長兄ラオウとの戦いの後、各地を放浪して荒くれどもを退治していたケンシロウは、サウザーの野望に気づき、一度は戦いを挑みつつも、サウザーの特異な体質の前に敗れていた。

そして体を癒したあとに戦いを挑まんと再び訪れたサウザーの領地。

そこではかつて自分が少年だった修業時代に命を救ってくれた他門の恩師シュウが、彼の属する同門の男によって殺されようとしている情景があった。

少年時代の自分を救うために両目を犠牲にしたシュウの無残な姿にケンシロウは絶叫する。

だがシュウは助けようとするケンシロウを押しとどめ、ゆっくりと頂上に向けて歩いていった。

やがて聖帝陵の頂上まで来たとき、最後のとどめとしてサウザーの放った槍に体を刺され、その衝撃で初めて目が開いたのである。

「シューーーーウ!!」

ケンシロウの悲痛な叫び。

だがシュウは満足げだった。

見開いた瞳にケンシロウは映っていたのだ。

かつて幼き頃に会って、その瞳に一筋の光を見たこと。

その光こそが乱世に安寧をもたらすものだと。

だからこそ、他門の少年拳士にも関わらず、自らの両目を犠牲にしてケンシロウの命乞いをしたこと。そしてその面影に亡き我が息子が重なっていたこと・・・

「最後にお前の顔を見れて良かった・・・」

そうつぶやき、満足げな顔で、シュウはケンシロウに乱世の終焉を託しながら、自らの肉体を犠牲にして果てたのだった・・・・

映画とは一見何の関係のないこのシーンも、自己犠牲というプリズムを通してみれば、両者の魂は同じ空間上で熱く輝いていたといえる。

生き方に迷いを見せるクラークに、自らの死でその迷いを断ち切らせたジョナサン。シュウの死で一度は敗れたサウザーと再び戦う決意をしたケンシロウ。

シュウがケンシロウに乱世の光を見たのと同様に、父ジョナサンはクラークに地球人類の光を見たのではないだろうか。

まとめ

己とは一体なんなのか?

一体何のためにこの星にやってきたのか・・・

長い旅路の果てに、やがてそれは判明し、かつての同胞だったクリプトン星人と地球の存亡をかけた戦いに挑むクラーク。父の望みどり、世界に光をもたらすものとして・・・・

このときの戦闘ぶりもドラゴンボールをほうふつとさせる超人類ぶりで、やっぱり少年ジャンプは時代の先を一歩も二歩も行ってたんだなあと今更ながら思う。

殉教の精神は少年漫画にも映画にもいたるところに息づいているのである。

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